ストーリーテリングで話を聞ける子を育てる~ジョエル-バーカーの豚から学ぶ~

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あなたは人の話を素直に聞ける耳を持っていますか?

あなたは新車のポルシェを運転しています。

車の調子も良く、天気も晴れやかで、最高のドライブです。

視界の悪い山道に差し掛かった時、対向車線から赤いポルシェが中央ラインを超えて飛び出してきました。

「危ない!!!」

あなたはそう思い、必死にハンドルを切り、衝突を避けました。

(なんて危ない運転するんだ、ぶつかったらせっかくの新車が台無しじゃないか!)

そう思うあなたに追い討ちをかけるように、すれ違いざま対向車線の運転手の美女は険しい剣幕であなたにこう言いました。

「豚!!」

侮辱されたと感じたあなたは、対向車に向かってこう言い返しました。

「ブス!!」

突然の侮辱でしたが、咄嗟に言い返すことができてあなたは満足でした。

イライラも少しは収まり、自分が誇らしくも感じました。

(へへ、言い返してやったぜ。危ない運転しているのは自分の方だろ。なんだよ「豚」って。ふざけたやつだ。)

そう思い、対向車から目を進行方向に戻したあなたは、
豚に激突しました。

「豚」の本当の意味

実は対向車の女性は「道路に豚がいるから気をつけろ!」と伝えたかったのです。

自分もギリギリ豚をかわして危ない状況だったのに、必死にあなたに危機を伝えようとしたのでした。

しかし、あなたは侮辱されたと勘違いし、せっかく女性が必死の思いで伝えた言葉の本当の意味を知ろうともせず、豚に激突してしまったのです。

結果、新車のポルシェはみるも無惨な状態となってしまいました。

これを日常に置き換えてみると、親や先生は子どもたちに対して日々アドバイスをしています。しかし、その全てが受け入れられているわけではないと言う現実もあります。

子どもたちが「豚」に激突する前に、我々対向車の運転手は声がけの方法について考える必要があります。

これはジョエル・バーカーの「パラダイムの魔力」という本に書いてあるストーリーです。

教訓はストーリーで伝えるべき

世界で最も成功を収めている民族、ユダヤ人にはタルムードという教典があります。

そのタルムードには数多く物語が収録され、1つ1つから教訓を得ることができます。

有名どころでいうと、「魔法のザクロ」「狐と葡萄畑」などはYouTubeでも話の種にされているので、よかったら聞いてみてください。

リベ大の両学長が解説している7つのエピソードは子どもにもわかりやすく、かつ気づきを与えてくれるので、ぜひ聞いてみて、我が子に語ってあげてください。

人間は抽象的な話で理解することはできない

例えば、「卵を1つのカゴにいれるな」という格言があります。

これの元々の意味は、「分散投資によりリスクマネジメントをしろ」です。

しかし、「分散投資をしろ」と言われても投資の知識の少ない人にはピンときません。ましてや子どもにはわかりません。

しかし、「卵を1つのカゴに入れるな」なら子どもでも理解することができます。

このように抽象的な話を具体的な話に置き換えて説明してあげると人は理解しやすいのです。

このことをストーリテリングと言います。主にマーケティングで使用される用語ですが。

子どもへの『言い聞かせ』は日常的に行わないと意味がない

例えば「お母さんの言うことを聞きなさい!」といっても、それを素直に聞く子は少数でしょう。

いざと言うときだけ、言い聞かせても子どもは素直に聞いてくれません。

言ってみれば、赤の他人から頼み事をされるようなものです。

信頼関係のある友人からの頼みなら多少無茶な頼み事でも聞いてみようかという気にもなりますが、普段の信頼関係のない相手からの要求は、当然信頼関係のある存在からの頼みよりハードルが上がります。

身も蓋もないことを言ってしまえば、子どもとの信頼関係がしっかりと構築されていたら子どもは親の言うことを必ず聞きます。

嘘をついたり、誤魔化したりせず、我が子最優先であることが「伝わっていたら」子どもは理屈を超えて親の言うことを聞くようになります。

また親の話に疑問が生じたときには、素直にそれをぶつけてきます。「なんでそうなの?」と。

しかし、その質問に対して真摯に向き合う姿勢がないと判断された場合、子どもはもう聞いてきてくれません。その場合、指示待ち人間になるか、自分の解釈で物事を進め良くない結果に陥ってしまうのです。

これは会社経営においても言えます。良い上司とは、どんな部下の拙い質問にも真摯に向き合います。相手がちゃんと理解できているか確認し、自分の説明の足りないところがないか相手に確認します。

「そんなこと常識でわかるでしょ」

「いちいちそんなこと聞かないでくれ」

こんなことを言ってしまったらもう二度と部下は質問してきてくれません。

子ども相手でも同じです。何かを教えるときには「教え方」が重要なのではないのです。

もっと重要なのは、教える前の信頼関係の構築が大切なのです。

困ったときだけ頼ってくる人のことをあなたはどう思いますか?

きっと、あまり好意的ではないでしょう。

「都合の良い時だけ調子いいこと言って・・・」そう思うんじゃないですか?

大切なのは日常なのです。日常的に相手を承認する姿勢が信頼関係を構築し、良好な親子関係、師弟関係を構築します。

教訓は日常的に耳にして初めて受け入れられる

先の「豚」の話のような教訓を与えてくれる話も同様です。

車をぶつけてショックを受けている人に、先程の「豚」の話をしても受け入れてくれるかはわかりません。むしろ耳を塞いでしまう可能性すらあります。

本人だって自分が間違っていたことに気づいているのです。しかし、追い討ちをかけるように他人から言われるとイライラしてしまうのです。

「勉強しなさい!」とテストの点数が悪かった時だけ言われても、素直にそれに従えないように。

しかし、なんでもない日常、平常時に「豚」の話を聞かされたらどうでしょう。

主人公の心境を追体験し、素直に自分の反省として受け入れられるのではないでしょうか?

また同じような展開に遭遇した時、「豚」の話を思い出し、その上で行動できるのではないでしょうか?

それができるとしたなら、後者の場合は自分に過失がないときに教えられたことだからです。負い目がない分、素直に受け入れられるのです。

話は長くなりましたが、要は
「日常的に子どもと対話することが大切」
と言うことです。
教訓を得た子は自分の中に新たな尺度を得て、
より賢明な判断ができるようになるはずです。
そしてそうなるかどうかは、先生や親がどのように
工夫して子どもたちに話をするかが重要になります。
ぜひ恐れず自身の失敗談なんかも効果的ですので
してあげてみてください。きっと響きます。

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