もし今日が自分にとって人生最後の日だとしたら

子育て

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最近すっかり涼しくなりましたね~。
今朝起きた時、ベットのマットレスを掛け布団にして寝ていました。どういう状況かは説明が面倒なので省略します。
ちなみに『ベッド』と『ベット』どちらが正しいかご存知ですか?

答えは両方正解です。
ベッドは英語、ベットはドイツ語です。

第二次世界大戦後、日本は欧米化が加速し、ベッドと呼ぶことが増えたそうですが、もともとは医療関係用語としてベットが一般的に日本で使われていたといいます。
カルテ(診療録)とかクランケ(患者)もドイツ語ですし、ドイツが医療の世界で最先端を走っていた時代、世界中に最新医療が伝えられる中、ドイツの医療用語も一緒に輸出されていたわけですね。

閑話休題

タイトルの話ですが、かの有名なアップルを作ったスティーブン・ジョブズがスタンフォード大学の卒業祝賀スピーチで話した内容です。

もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?

私も含め、みなさんも明日が必ず来るという思いで日々過ごしています。だからついテレビを見たり、漫画を読んだり、ごろごろして一日を過ごしてしまいます。
しかし、その日が人生最後の日だとわかっていたらどうするでしょう?

きっと、テレビを見たり、漫画を見たりはしていないのではないでしょうか?
人生というものはいつ突然幕を下ろすかわかりません。

交通事故にあう可能性もありますし、急な心臓発作だって否定できません。
それはあなたに限らず、家族にも同じことが言えます。

私の知っている方は、母親と最後に交わした言葉が「別に」だったことを今でも後悔しています。仕事が終わって疲れて帰ってきたとき、母親に「今日の仕事どうだった?」と聞かれ、つい疲れから「別に」と言って自分の部屋にこもってしまいました。

翌朝起きると、いつも一番早起きな母親の姿がない事に気が付き、部屋に行くとすでに冷たくなっていたそうです。それは避けようのない死だったのかもしれません。
しかし彼は、自分の最後の言葉を悔やみました。
いつも自分のことを気にかけてくれる母親との最後の会話が「別に」だったのです。

彼は悔やみました。なぜ、なぜあの時自分は「今日も仕事順調だったよ。お母さんいつもありがとう、あなたの子どもに生まれて僕はとても幸せでした」と言えなかったのだろうと・・・。

涙無くして聞けない話です。
しかし、これは他人ごとではありません。あなた自身、もしくは大切な誰かの最後の瞬間はいつ来るかわからないのです。
もし前もって誰かが「今日があなたの最後の日です」と教えてくれるならまだ覚悟や最後にやりたいことができるでしょうが、この世にいる人間のほとんどが自分の人生最後の日を知らずに生きています。

だから、ジョブズはいつも自分で自分に言うのです。

もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?

今日という日を悔いなく生きるにはほかに方法がないのです。思い出してみてください。今日もしくは昨日、たとえその日が人生最後の日だったとして納得のいく一日だったでしょうか?

私はどれだけ遡っても、納得のいく日がみつかりませんでした。仮に「今日一日を人生最後の日だと思って過ごすぞ!」と決めても、きっと何をしたら良いかわからなくなってしまう自分にも気が付きました。

それは日ごろから、私が今日と言う日を本気で生きていないからだと思いました。

実際にはほとんどの人間は平均寿命前後まで生きられます。別に今日と言う日が最後などと考えずとも、明日は必ずやってきますし、大切な家族もあなたの傍にいてくれます。
しかし、それが突然崩れる可能性があるのも事実です。

人生という曖昧な長い期間で物事を考えると、今何をしたらよいかわからず途方に暮れてしまうものです。しかし、今日という1日を戻らぬ日々と考え、1日を全力で生きることを考えればきっとあなたのこれからの人生も充実したものになるのではないでしょうか?

途中受験の話に繋げようと思いましたが、思い直しました。今日と言う日を大切に生きてください。

余談ですが、私は今日が人生最後の日なら、本を書きます。
これまで必死に貯めた知識や経験が無になってしまうことが怖いからです。これからの将来を担う子どもたちの一助になれるような本を全力で書きたいと思います。

ある人が言っていました。
「おれは音楽家がうらやましい。死んでも作品が残るからだ。画家の絵はいずれ朽ちてなくなってしまうだろう。しかし歌は人間がいる限り国境や時代を超えて語り継がれる。だから音楽家がうらやましい」
この人は今年の春に亡くなってしまいました。

この人の言うことには同感ですが、教師や親という存在も音楽家に勝るとも劣らない存在なのだと考えます。
なぜなら、教師や親は子どもに何かを伝え、それがその子の人生に影響を与えるからです。
例えば、私が2人の子どもに命の大切さを伝えたとします。そしてその2人の子どもたちは大人になってまた子どもに命の大切さを伝えたとします。
そうすると、私が直接その子たちに会っていなくても教えは伝わります。

残念ながら〇〇先生の教え、という伝わり方ではないかもしれません。ひょっとしたら少しアレンジが加わって別物になっているかもしれません。
しかし、世代を超えて誰かの人生に影響を与えられるという事実に比べれば些末なことのように思えます。

教師とは、生きながら誰かに自分の人生の欠片を渡せる職業だと思います。命のバトンを次の世代に渡し続けることが出来ます。
これに勝る幸せはなく、教師とは最高の職業だと私は思います。
いつも私を先生と呼んでくれる子どもたちに最大限の感謝の気持ちを伝えて、今日のブログを終わりたいと思います。

いつもありがとう、先生はみんなと会えて幸せです。

佐藤塾
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