『中学の勉強』と『高校の勉強』の違いをわかりやすく絵で解説!

成績アップの極意

この記事は5分で読めます。

中学校まで成績がよかったのに、高校に入ったら成績がガタ落ちした!

中学・高校で成績がいまいちだったのに、国立大学に合格した!

そんな話をよく聞きます。
特に前者は女子に多いです。
後者は男子に多いです。

中学校までは成績学年トップで、誰もが認める優等生だったのに、高校に進んだら成績が落ち、大学は思うようなところに行けなかった
逆に中学・高校と成績はいまいちだった子が、その子より良い大学に進学した

このようなことは、よくあります。
しばし中学校までの成績で自分を判断し、「おれは勉強ができないんだ」なんて言う子がいますが、先に述べたような事態を良く目にしているものからすると、中学校までの成績は、必ずしも大学進学には影響しないと考えます。

いえ、もちろん進学校に合格すれば、将来よりよい大学に進学する可能性が高くなりますし、中学校までの勉強をしっかりやっておくことは、高校や大学受験においても有効です。

しかし、中学校までの成績で将来を推し量ることは、極めて困難です。

私に限らず、塾講師としての経歴が増えてくると、次のようなことを感じることがあります。

中学校までの成績が非常に優秀で、学年トップ10の常連、でも「この子は高校に入ってから苦労するかも・・・」と思う子もいれば

逆に中学校までの成績は普通でも「この子はこれから化けるな・・・」と思う子もいます。

そして、その予想が外れたことはほとんどありません。

伸び率に差こそあれ、ある程度経験を積んでくるとわかってしまうものなのです。

それは、才能の差などではなく、性格の違いと言ってよいでしょう。

タイトルに戻り、中学と高校の勉強をそれぞれ色塗りに例えて説明します。

例えば、この四角形がテスト範囲だとします。
学習したところから色が塗られて行き、完全に黒く塗りつぶせたら完全に理解したとします。

左がテストで75点の子、右が98点の子だとします。

色の塗り方には個人差があり
『薄く広く塗る子』と『端から隙間なく塗る子』『大胆に枠からはみ出ても気にしないで塗る子』と様々です。

左が中学校 右が高校の範囲

これが中学校と高校の学習範囲を視覚的に表したものです。

ご覧の通り、高校の方が明らかに広い範囲を学習する必要があります。

高校の場合、隅から丁寧に塗っていくと完全に塗り終わる前に大学入試がやってきます。

このような広範囲を塗る場合、多少の塗りムラは無視してポイントを押さえて塗る作業が求められます。

しかし、中学校における成績優秀者は、過去の成功体験があるため、本来広範囲を塗ることに適さない丁寧な塗り方を選択してしまいます。
成績が思わしくなけらば思わしくないほど、過去の成功体験にしがみつき、踏襲してしまうのです。

東京大学に合格する人の大部分に言えることは、彼らは合格点までの道のりを効率よく進むことに長けているということです。

ここで重要なのは、高得点を取ることではなく、合格点を取ることを目指しているという点です。
一見同じように思えますが、大きく違います。

彼らは合格点が65点なら65点を目指すのです。

もちろん、力の入れようによっては100点を取る力は持っています。
しかし、一か所に力を入れる続けることが決して効率的ではないことを彼らは良く知っています。

例えば数学と英語、合計200点満点中160点が合格ラインだとします。
A君は数学はとても得意で100点満点も難しくない。しかし、英語は大の苦手で今から必死にやっても80点は難しいかもしれない。

そういう時、A君は数学95点、英語65点という目標を立てるのです。

間違っても数学100点、英語100点なんて目指しませんし、両方80点を目指すような勉強もしません。

もっとも効率よく合格点にたどり着く方法を選択するのです。

これは、先ほどの塗り絵の話にも通じます。

少しの抜けもなく完璧にこなそうと考えたら、18歳の大学入試までは時間が足りません。
そこである程度、抜けがあることを覚悟して効率的に学ぶことが求められるのです。選択と集中です。

しかし、中学校で成績優秀だった人は過去の成功体験が忘れられず、その誤った学習方法にしがみついてしまうのです。

逆におおざっぱで、中学校時代は成績が振るわなかった子の方が大学受験で成功することがあるというのは、こういう理由なのです。

ここからは、石田勝紀先生著『同じ勉強をしていて、なぜ差がつくのか?』を引用させていただきます。


私は、東京大学の修士課程、博士課程に行っていたときに、多くの現役東大生と話をしました。そのとき感じた事。その1つが彼らの「抽象度の高さ」です。
第一章でもお話したように、「一を聞いて十を知る」というのがまさにそうで、彼らは具体的な話を聞くと、それを抽象化させて理解し、一般化していくことができます。

東大生は、センター試験でも全教科で高得点を取り、さらに2次試験の難解な問題でも多教科、多分野にわたって高得点を取っていくという離れ業をやってきた人たちです。
もちろん、受験勉強は相当したでしょうが、科目数が多く、しかもハイレベルな問題が解けるようになるまでには、数限りない問題をひたすら解いていったのではなく、いくつかの具体的問題を抽象化させて「ルール化」「パターン化」するのが自然とできていたということが背景にあるはずです。
(P116より抜粋)

以上が石田勝紀先生の主張になります。

この抽象化させる能力のことを、石田先生は著書の中で「要するに」という言葉を使って解説しています。

私に限らず、授業中、講師ならだれでも良く口にする言葉ですが、「つまりこれってどういうこと?」「何を聞いているの?」という投げかけには
複雑な問題をシンプルに捉える力を塾生には身に付けてもらいたいという思いがあります。

これは先ほどの抽象化にも通じます。

私の大学受験向けの現代文授業では、このことを『骨子を掴む』と言って解説しています。

この力が備わってくると、見たこともない問題が出ても狼狽えることはありませんし、また一見難解に見える問題に惑わされることもなくなります。

これまでの話の流れで、中学と高校の学習範囲の話からずれていると思われた方もいらっしゃるかもしれませんので、次の画像を見てください。

先ほどまでは2次元の四角形に例えていましたが、勉強は3次元です。
理解・学習の深さも重要なのです。

中学校までの勉強は、様々な範囲をまんべんなく学習することでしたが、高校に入ってからより専門性が高まり、その深さは中学校の比ではありません。

上の絵のように、学習範囲が1つの球体であるなら、その1部を多少掘ったところで全体の理解には程遠いです。
しかし、全体を掘る時間はありません。

ではどうすればよいでしょう?

先に述べたように、その骨子、コアをしっかりと把握することが近道となります。

その科目の中心となっているものをしっかりと理解することで、応用の利く柔軟で骨太な学力が備わります

ここで数多ある問題に片っ端から取り組むことは、時間制限が設けられている大学受験に置いて愚策です。

まずは頻出範囲をしっかり理解し、その問題の骨子となっている部分を理解することが大切です。
その学習に多少の漏れがあったとしても、それは応用でフォローが利くので問題ありません。

話を冒頭に戻しますが、中学校までの勉強と高校以降の勉強は全くの別物です。
仮に高校の定期テストの点数が良くても、大学入試ではぼろぼろの結果ということも大いにあり得ます。

東大生の抽象化能力に補足ですが、彼らも最初からその能力が高かったわけではありません。

本当に最も効率が良い学習方法は、自身で抽象化するより、誰かが抽象化する工程を間近で見て、学ぶことです。

経験豊富な講師ならその業を身に付けているはずです。
例えば私なら、物理学は『恋愛』、数学は『山登り』など一言でまとめてしまいます。

専門家を専門家たらしめる要素がその難解さであるなら、教師という存在は難解なものをより抽象化し、小学5年生でもわかるように説明するのが務めです。
専門家の言っていることを小学5年生が完全に理解してしまったら、専門家から専門性というアイデンティティが失われてしまいますが、逆に教師は難しいことを難しいままに解説しているようでは存在意義がないからです。

かのアルベルト・アインシュタインは幼い少年に「相対性理論」について尋ねられた際、「好きな女の子と一緒にいるときと、熱い暖炉の前に座っているときの体感時間の違い」を用いて説明したといいます。
アインシュタインは専門家でありながら、指導者としての素養を持ち合わせたことが伺えます。

山登りをする際、最も成功率を上げる方法は『できるだけ優秀なガイドを雇うこと』だそうです。
何度も登山者と一緒に山を上り下りしているガイドは、重要なポイントと近道を熟知しています。
また断崖絶壁の道にも、確かな進路を見つけることもできます。

物理を『恋愛』、数学を『山登り』と聞いた時、あなたの心にわずかでも興味というハーケンが刺さり、それが登山の第一歩になれば塾講師冥利に尽きます。

タイトルとURLをコピーしました