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The UPDATEについてご存知ない方はこちらから!
今回もとても興味深いテーマで見ごたえのある内容でした!
「中学受験合格は成功への近道なのか?」
というテーマでしたが、ここで指す中学受験というのは都心における中高一貫校などの難関中学校受験です。
新潟県では新潟大学附属がありますが、都心の中高一貫校ではハイスピードな授業カリキュラムで、大学受験に有利な指導が日々行われています。高校2年生までに全教科の範囲を終え、高校3年生では受験対策を行うなど、先取り教育により1年以上のアドバンテージを有しているのが都心の受験生たちです。
必然的に、地方の受験生たちは1年出遅れているわけですから、学校の授業だけでなく自分で先取りするか、塾に通うなどをしないと追いつくことは困難です。(浪人するというウルトラCもありますが)
残念ながら新潟大学附属中の入試は全国的なレベルで見ると平均以下で、問題の難易度はベリーイージーです。一方、灘・開成などの入試問題は初見だと佐藤塾の先生たちでも8割取れるか怪しいくらいの超・鬼難易度です。(時間があるなら満点取れるでしょうが、訓練しないとタイムオーバーになる可能性大です)
勉強するうえで、周りの雰囲気は重要です。
現実的には地方で都心の進学校と同じ体制を作ることは極めて困難と言えるでしょう。

番組では「成功」の定義があまり議論されないまま、「中学受験」の是非について語られていたので、スタートからややテーマから外れてしまったような印象もありました。
また出演者が「中学受験」に否定的な意見を持っている方が大部分だったことから議論が白熱しなかったのも残念でした。
今回は佐藤亮子先生がご不在だったので、その分活発な議論が展開されることを期待していたのですが・・・
中学受験に否定的な考えの方の大部分には「過酷な受験体験を子どもに強いる親の存在」がはっきりとあります。
事実、そういう親御さんはいらっしゃいます。

ドラマ化も予定している漫画「2月の勝者」の中でもその辺の事情がリアルに描かれています。
中学受験に年間200万円以上かける家庭がごろごろいる都心、そしてその親心と不安を商売にしている学習塾は確かに存在します。
親の期待が大きすぎて精神的に病んでしまう小学生も多い都心の中学受験はもはや魔境です。中には受験が原因で家庭崩壊することも・・・。
2月の勝者の冒頭セリフ
『君たちが合格できたのは、「父親の経済力」そして「母親の狂気」』(のおかげだ)
というのは、都心における中学受験を端的に示しているのではないでしょうか。
そんな子ども周りに1人もいないよ!と新潟の人なら思うと思いますが、東京都の小学6年生10万人のうち、25,000人、およそ4人に1人が中学受験を経験します。
そしてそのうち第一志望に合格するのはたった30%で、残りの70%は涙を飲むことになるのだから、地方の高校受験なんて目じゃないくらい激しい競争であることがわかります。
そこまでして中学受験合格したいと親たちが考えているのは、自身の経験でそこに大きなメリットがあることを知っているからに他ならず、本音で語れば都心に住む親のほとんどが名門中学校に入ってほしいと考えているのではないかと思います。
番組出演者の中には自身が過酷な中学受験を経験していることから、子どもには経験させたくないという意見もありましたが、全体を通して否定的な意見が多かったのはそういう背景があるのかもしれません。
親が子どもに強制的に勉強させるイメージが中学受験にはあるのです。
そのことに否定的な方は、「子ども自身に決めさせる」「子どもの自主性に任せる」とよくおっしゃいます。
今回のThe UPDATEでも同様の意見が数多くでました。
しかし、私はこれに異を唱えたいと思います。
いえ、もちろん子ども自身に決めさせることや、子どもの自主性は重要だと思います。
それが「子どもへの責任転嫁」「消極的ネグレクト」にならないか警鐘を鳴らす必要があるのではないでしょうか?

自分の好きなようにしなさい
という言葉の背景には「何が起きてもあなたの責任だよ(私のせいじゃないよ)」という意図があったら、それは好ましいことではありません。
親や教師が果たすべき本当の意味での「子どもに自主性を身に付けさせる」とは、
子どもが自主的に行動するよう促すこと です!!
まかり間違っても、子どもが勝手に自分で正しい道を何もない状態から選ぶなどということはあり得ません。
親が、教師が、社会が子どもたちにノンバーバルなもの(背中で示す)も含め、子どもたちに教え続けることで子どもは自らの中に尺度を持てるのです。
子どもがニンジンが嫌いだったらどうしますか?

「いいよ、嫌いなら食べなくてもいいよ」
と言いますか?
それとも
「ほんと?ならパパ(ママ)がもらってもいい? パパ(ママ)ニンジン大好きだからさ! おいし~い」と言っておいしそうに食べますか?
子どもは親が食べているものに興味を持ちます。
親がニンジン大好きで、毎食黙って幸せそうにもりもり食べていたら、子どもも自然といつかは食べ始めます。
いつも書斎でおじいちゃんが本を読んでいる家庭に育った子はいつか本に目覚めます。
父親が料理好きな家庭で育った男の子は、人生の早い段階で包丁を手に持つでしょう。
私自身、小さなころはニンジンが大の苦手で食べられませんでした。
しかし、NHKの番組でピーターラビットがとてもおいしそうにニンジンをポリポリ食べているのを見て、自分も食べてみたことがあります。
最初は慣れませんでしたが、次第においしく感じるようになりました。
いつ、自主的に行動するかは個人差があります。親が登山が大好きだからといって子どものうちから登山に目覚めることはないのかもしれません。しかし、親と同じ年齢になった時、興味を持つ可能性はあるのではないでしょうか?
勉強でも同じことが言えます。
勉強の楽しさ、すばらしさ、意義はその子の周りにいる大人が伝えなくては、子どもに伝わりません。
「もっと勉強しておけばよかった・・・」という思いは、歳をとってから思うのは簡単ですが、遊びが楽しい幼い頃「勉強もっとしたいな(しなきゃ)」と思うことはできません。なぜなら経験がないからです。
経験のないものの良さや意義を知ることは自主的にはできません。
誰かの姿、口を通して伝えられなくてはなりません。
これはAIがどれだけ発展しても、人間にしかできないことだと思います。
「おれ、将来塾の先生になりたい!」
ある子が私に言ってきたことがあります。
「なんで?」と返すと
「楽しそうだから!」という返事が返ってきました。
彼はお父さんが学校の先生をしており、教えるという行為がとても身近にありました。また楽しそうに授業する私の姿を見て「勉強って面白いんだな~、塾の先生って楽しい仕事なんだな~」と思ってくれたそうです。
事実私は、勉強の奥深さに魅せられており、知的好奇心を刺激され伸びていく子ども達を見るのが何よりの喜びです。
その姿は遊んでいるようにさえ見えたかもしれません笑
かつて恩師に言われた言葉を思い出しました。
「塾の先生は、学校の先生より物知りでなければならない。子どもたちを楽しませる話術に、明晰な頭脳。指導者として人間として魅力的でないと塾の先生とは呼べない」
今の自分がどうか考えると、光の速さで穴に入ってしまいたくなりますが、子ども達の身近な大人は子ども達のロールモデルでなくてはならないと思います。
子どもの自主性を促すためには、まず周囲の大人から変わる必要があるのではないでしょうか?
最後に孟子の話をして今回のテーマを締めたいと思います。
孟子は幼いときに父親を失い、母親一人の手で育てられた。最初墓の近くに住んでいたが、息子が葬式の真似ばかりするので教育上好ましくないと母親は思い、市場の近くに引っ越した。息子は今度は商人の真似ばかりして遊んでいる。やはりここも好ましくないと思った母親は、今度は学校の近くに引っ越した。すると息子は祭礼の道具を並べて、儀式の真似をして遊ぶようになった。母親はこここそ息子の教育にふさわしい場所だといって、初めて安心して住まいを構え住みついたという。
儒学者として有名な孟子ですが、その成長の背景には母親の決断がありましたという有名な話です。
ここで重要なのは、孟子の母は、孟子のために住む場所を変えて、孟子の遊び方を変えているという点です。
遊び方を変えるよう教えているわけではないのです。
場所を移ることで自然と子どもが変われるよう、工夫して接していたのです。
これこそが『子どもの自主性』を促す正しい在り方だと思います。
佐藤塾も子どもたちにとっての『墓』や『市場』ではなく『学校』でありたいと思います。