ギフテッドが抱える問題「アンダーアチーブメント」とは何か?

子育て

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人間は社会的動物である

アリストテレス「国家」より

皆さんはアンダーアチーブメントという言葉を耳にしたことはありますでしょうか?

あまり馴染みのない言葉だと思いますが、「低達成」などと訳されます。

世にいう「ギフテッド(「天才児)」たちの中には一定数このアンダーアチーブメントに陥る子がおり、本来の能力を活かせずに悶々と鬱屈した日々を送っている問題があります。
素晴らしい才能を持って生まれたはずの子が、後天的要素によりその才能を潰してしまう例が少なくありません。特に日本の教育は先進国の中でも特にギフテッドに厳しいシステムですので、知らず知らずのうちに将来の偉人の芽を摘んでしまっている可能性もあります。

今回のブログでは、アンダーアチーブメントについて正しく理解し、その上でこれから説明する解決策を実施し、我が子の才能を最大限育ててあげるために必要な情報をお伝えします。
案外、身近な親ほど我が子の才能に気がつけず、ただの変わった子と片付けてしまうことが少なくありません。
子どもにとって一番頼りになる身近な存在である親がまずその事実をしっかり理解し、寄り添ってあげることが子どもの成功につながります。

前置きが長くなりましたが、このブログを読むことで1人でも「孤独な天才」が減れば幸いです。

落ちこぼれることで社会の一員になるギフテッド

皆さんはかくれんぼをしたことはありますよね?

私も子どもの頃は友達とよくしました。

かくれんぼで一番辛かった思い出を少し思い出してください。

考えましたか?

15秒だけ考えてみてください。

かくれんぼで辛かった経験。きっとあなたにもあるはずです。

 

それでは聞きます。

その辛かった思い出はどんな内容でしたか?

1、ジャンケンで負けが続いて鬼ばかりやらされた

2、すぐに鬼に見つかってしまってつまらなかった

3、隠れた場所が薄暗くて怖かった

 

おそらく今述べたいずれかでもないはずです。

あなたが一番辛かったのは、鬼に見つけてもらえなかった時ではありませんか?

隠れていたら、いつの間にか休み時間が終わって授業にみんなが向かってしまったり

気がついたら次の遊びが始まってしまっていたり

そんな記憶ありませんか?

私はあります。
上手に隠れすぎて鬼に見つけられなかった経験。

ぺん藤先生
ぺん藤先生

小学生の頃、中庭の鉄棒の下に敷いてある緑色のマットの下に隠れた時は誰にも見つけてもらえず、1時間孤独な思いをしたことを覚えています。

本来かくれんぼは上手に隠れて鬼に見つからないようにするゲームです。

隠れるのが下手ですぐに見つかってしまうのもつまらないですが、逆にうまくやりすぎてしまうと、そのゲームから浮いた存在。ある意味疎外された存在になってしまうのです。

かくれんぼで例えましたが、これはスポーツ競技やゲーム、そして勉強でも同じことが言えます。

もしあなたが生まれつき100mを5秒で走れる人だったら陸上競技に生涯情熱を傾けることができるでしょうか?
いいえ、きっと無理でしょう。

毎日必死の努力を重ねてやっとタイムが0.5秒縮まった時、あなたは幸福感に包まれ、さらに陸上に魅せられていくのでしょう。

ポーカーで常に初手からロイヤルストレートフラッシュが来たらあなたはギャンブラーになるでしょうか?

一時は楽しいかもしれませんが、生涯を通してやり続けるには簡単すぎて嫌になってしまうでしょう。

マラソンで、先頭を走るあなたが後ろをふと振り向いた時、2位以下は遥か後方。挙句果てに諦めてギブアップしていたらどうでしょう。

きっとあなたも足を止めてしまうのではないでしょうか?

優れているから良いというのは、上を目指す余地のある人の発想です。
頂点に立つということは並び立つ存在がいないことを意味します。

競い合う存在がいてこそ競技は白熱するのです。周りが自分より遥かに弱ければ努力する意欲も無くなってしまうでしょう。

人は孤高と呼ぶかもしれませんが、当事者からすればただの孤独です。

これがギフテッドが陥るアンダーアチーブメントの原因です。

あるところに1人の男がいました。
男は社会から疎外された孤独な存在でした。
ある朝、その男の頭には角が生えました。

男はその角を見せれば、特別な存在だと認められ、社会から受け入れられるのではと期待しました。

しかし、男に待っていたのは、社会からの信仰でした。

社会は角を持つ男を神として崇め奉り、遠ざけました。

男は特別な角を以って、社会から受け入れられることを望みましたが、社会は特別な角を持つ男を畏怖の念から崇め奉り、遠ざけました。

これの話は小野不由美の「屍鬼」で出てくるミノタウロスをモチーフにした一節です。

特別な存在であるが故に、社会から遠ざけられてしまうのは、角の生えた男もギフテッドも同じです。

ギフテッドに見えている世界はギフテッドにしか見えません。共感を得られず、理解もされないということは大人でも辛いのに、思春期の子どもからすれば想像を絶する辛さです。

その時、彼らが編み出す自己防衛策の1つが、わざと成績を下げるです。

あえて本来の実力を隠すことで、社会の一員として受けれ入れてもらおうというのです。

鋭い感性、豊かな情緒、卓越した計算力、絶対的な記憶力を封印し、道化を演じることで社会に受け入れようとします。

人は理解できないものを恐れ、理解できるものに安心感を抱きます。

生まれて3日でハローという赤ん坊は不気味でも、3歳になっても喋れない子供には良識人の仮面を被り、慈悲の目を向けることができます。
芸達者なチンパンジーに歓声を送っていた人も、彼らが急に人語を介し、人類以上に高度な文明を構築しようとしたらきっと種族の存亡をかけた戦いが世界で起きるでしょう。

経験か本能か。ギフテッドはその事実を知っています。
自分らがマイノリティーで、マジョリティーに受け入れられるには、大衆に迎合することが賢い選択だということもよく知っています。

ゆえに彼らはしばし、自ら欠点を作り、それを公開することで社会の一員となることを目指すのです。

その必死の擬態に痛快さはありません。
道化を笑う者を笑う道化のように、または阿Q正伝の精神勝利法や、ドンキホーテのように都合良く現実を作り替える図太さが彼らにあれば少しは救われたのかもしれませんが、彼らの必死の擬態はその才能ゆえに極めて高い精度で成功してしまいます。

つまり仮面をかぶるのではなく、そのものになってしまうのです。

高IQのギフテッドも、子どもの頃は特に意識していなかった社会との断絶を、長じるにつれて自身の特異性を知ることで知ります。そしてその中の一定数はうき溢れることを恐れアンダーアチーブメントに陥ってしまうのです。

質問者
 

じゃあ、どうしたらアンダーアチーブメントにならないの?

ダイヤモンドを削れる唯一の石

ぺん藤先生
ぺん藤先生

解決策は2つあります。

1つ目は、「ギフテッドはギフテッドの中で育てる」です。

「兄達は頭が悪いから東大に行った」

米長邦雄永世棋聖

このセリフはあまりにも有名ですが、将棋界のレジェンド(悪い意味でもレジェンド)米長邦雄先生が言い放ったと言われるセリフです。

米長先生のお兄さん達は東京大学に進学しましたが、弟の米長先生は将棋の棋士になりました。

結果から見れば米永家の子どもたちは皆ギフテッドだったわけですが、その後の成長ぶりを見ると、アンダーアチーブメントに陥っていないことがわかります。
これには理由があります。

米長兄弟の他者の基準はより身近な兄弟であったのです。
同じようなギフテッドに囲まれて育ったので、特に自分を特別視することなくすくすく育ったのだと思います。

猫の群れにライオンが一頭混じっていたら大騒ぎですが、ライオンの群れの中ではライオンは珍しくありません。周りに合わせることもなく自分らしく振る舞うことが許されます。
しかし、猫が作った猫社会で生活するとなるとさまざまな制約を追うことは想像できるでしょう。結果、ライオンは自らの持つ才能(牙)を自らの手で折ることになるのです。

ギフテッドは社会に一定数存在します。

100人いたら2人、1000人いたら20人、1万人いたら200人です。

その才能の多寡にこそ差はあるかもしれませんが、ギフテッドがより多い環境で生活すればアンダーアチーブメントに陥る可能性はグッと減ります。

具体的に新潟県でその場所をさすと、附属です。

附属は親が教育に関心があるケースが他の公立学校より多いので、必然的にギフテッドが多く在籍します。
(佐藤塾にも附属の小5で高校数学を修了している子や、新潟県高校入試で全科目9割以上とってしまう才能の振り切れたギフテッドがいます)

そんな子どもたちも、同じような学力の子どもが他にもいたら安心できるはずですし、先生の実力が上回っていれば彼ら彼女らに適度な試練を与え、モチベーションを保つことができます。

「孟母三遷の教え」については別のブログで紹介しましたが、身を置く場所次第で彼ら彼女らの成長は大きく変わります。
仮に何か欠点があったとしても、個性として認め、承認してくれる存在がいればギフテッドは本来の実力を発揮できます。

別ベクトルで支える家族

ぺん藤先生
ぺん藤先生

ギフテッドはしばしその早熟さから大人のように扱われてしまうことがありますが、中身はまだ子どもです。

年相応に傷つき、年相応に至らないところがある子どもだと身近な大人が認識し、支えることが大切です。

附属小に教育実習に行った先生が口を揃えていう言葉があります。

「附属は早熟だ」

「附属はマセている」

(教育学部に行った後輩達から聞きました)

確かに彼ら彼女らは同年代の子どもより分別があり、博識かもしれません。

しかし、人生経験から見ればまだひよっこもいいところです。
他人に悪口を言われれば傷つきますし、多感な分悩みも多いはずです。

ギフテッドは傍目から見たら自制の効く大人のように映るかもしれません。
しかし、彼ら彼女らだって家ではだらけたいし、誰かに甘えたいのです。

人一倍ある自尊心がそれを許さないだけで本心では誰かの庇護と理解を渇望して止まないのです。

そんなギフテッドを親は世間と同じように扱ってはいけません。

遺憾無く異能を発揮する我が子を恐れる親もいますが、それも論外です。

良い意味で子ども扱いしなくてはならないのです。

親が何も言わないことをいいことに好き放題振る舞うギフテッドもいますが、叱るときは叱ることが大切です。
子どもは逆に粗相を叱られないと見放されたと感じることもあるのです。

子ども扱いすべきところでは、理屈を超えて指導すべきなのです。
確かにギフテッドは年の割に口達者で、言い負かされることもあるかもしれません。

同じ土俵で戦ってはいけません。

そんなとき、親が言うべきことはこれだけです。

「あなたがそんなことをすると私は悲しい」

これなら反論の余地はありません。

なぜなら悲しいかどうかはあなたしか知り得ないことで、それを否定することはあなた以外にできません。

それでもダメなら最終手段です。

抱きしめましょう。問答無用です。

これで全て解決します。

拒絶されても諦めず抱きしめましょう。全て解決するはずです。

聡いギフテッドと口上で戦うのは賢い選択ではありません。理屈を超えた親の愛を示すことが時として激情家となるギフテッドへの一番の鎮静剤になるのです。

 

だいぶ長くなりましたが、日本の教育が抱える問題の最たるところは、「学校が多様性や自主性を認めず、効率的に同水準の子どもを輩出する工場となってしまっていること」だと思います。
余談ですが、体育の前ならえ。先進国でやっているのは日本だけです。あれば軍隊から来た所作です。ちなみに制服も軍隊から来たものです。戦時中、短時間で効率的に指示に従う軍人を育てるためのシステムが学校教育に組み込まれました。それは規律・集団行動を守るという意味では日本の成長に一定の恩恵をもたらしましたが、同時に輪から外れたものを許さない、同調圧力の場になってしまっていることも事実です。

現在、ギフテッドが才能を伸ばす上でお世辞にも学校教育は適しているとは言えません。ある意味、弱者であるギフテッドが伸び伸びと成長するには周囲の協力が必要です。

今回の内容で少しでもギフテッドへの理解が深まり、皆様の子育ての参考になれば幸いです。

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