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今回は、教材に関するお話をしていきたいと思います。
今や書店には様々な教材やノウハウ本が溢れていて、書店に行くと目移りしますよね?
Amazonなどでも1冊の教育本を探していたら、次から次へとおすすめを紹介されるので、ついつい買いすぎちゃうこともある私です。
今ではメルカリなどを活用すると、中古の本が安く手に入りますので、調子に乗って読み切れないほど購入してしまい、読めていない本が山積みになっている。そんな私ですが先日ある小売業の方から伺ったお話から、教材に関する新しい知見を得ましたので、それをご紹介したいと思います。
その小売業の方というのは、スーパーのスーパーバイザーをしている方で、数多くの店舗の売り上げを倍増させた経験のある方です。
異業種ではございますが、そういった畑違いの方から伺うお話というのは非常に興味深いものがあります。日々得ることのない新しい気づきを提供してくれるからです。
皆さんにもこの話を通して新たな気づきが得られれば幸いです。
「売り切れ」より「売れ残り」
皆さんのイメージでは、売りに出した商品が『売り切れ』になることは、お店にとってはよかったことというイメージがありませんか?
逆に、『売れ残り』はお店にとって残念なこと、そう思っていませんでしたか?
しかし、その小売業の方がいうには、『売り切れ』はあまり良いことではなく、『売れ残り』の方が良いというのです。

売れ残りといっても色々ありますが、山積みになっている商品が全く売れないことを指しているのではなく、あくまで売れつつ、僅かに残ってしまった状態を指してお話しております。
なぜなら、『売り切れ』はもっと買いたかったお客様がいたかもしれないのに、買えなかったことを指し。
『売れ残り』は欲しいお客様は全員買えたことを指すからだそうです。
買いたかったお客様が、目的の商品を買えなかった(お店側からすると売れなかった)ことを専門用語で『機会損失』と呼びます。
機会損失は、売れ残りによるロスよりずっと問題だとその方は語ります。
もし、売れ残る可能性があるとしても、少しでも多くのお客様に商品が届くよう、あらかじめある程度無駄になってしまうことを織り込み済みで仕入れをするというのです。
この話は教材に対する話と似ていると私は思いました。
買った教材の中には使わなかったものも多かった
そう語るのは、子ども4人を東京大学理科三類に合格させた佐藤亮子さんです。
お子さんの教育にかける情熱が人一倍ある佐藤亮子さんですが、その慧眼を持って剪定された教材の中にも結局使わなかった(子どもが興味を示さなかった)ものは数多くあったと著書の中で綴られています。
実際、親御さんの中にはそういった経験をされた方は多いのではないでしょうか?
子どもに良いと思って買ってあげたおもちゃ、教材などが、あまり使われずお蔵入りになってしまった。
そんな経験誰しもあると思います。
子どもの成長を願い、買った教材それが使われないことは、果たして本当に無駄なのでしょうか?
今回、スーパーバイザーの方からお話を伺って、また佐藤亮子さんの著書の話を受け、『無駄ではない』という見方が私の中で強くなってきました。
何が子どものためになるかはわからない
人生もそうですが、一見無意味に思える経験や、知識がどこがで役に立ったりすることがあります。
それは人との出会いもそうですし、1冊の本かもしれません。
どこでどう繋がるかは、その時になってみないとわからないものです。
そのため、ある程度期待は持ちつつ、しかし、すぐには使われない可能性があることを織り込んで子どもには様々な機会を与えてあげると良いと私は考えます。
先ほどのスーパーマーケットの話ではないですが、機会損失はより罪深いと考えるのです。
佐藤塾では、塾生の誕生日に1冊の本を贈るという習慣があります。
それは時に教材だったり、難しい本だったりもします。
子どもがそれを読んでくれることを期待して、また1人1人の性格や個性を考えて1冊を選んでいますが、それが結局1度も開かれず、本棚にしまわれることになっても私は良いと考えています。(メルカリに売りに出されるのはちょっと勘弁でして欲しいですが)
人と本には3つのタイミングがあります。
1つ目は、出会うタイミング
2つ目は、読むタイミング
3つ目は、それが役に立つタイミングです。
2つ目、3つ目は私にはどうすることもできません。まさか無理矢理読ませることもできませんし。
しかし2つ目、3つ目は1つ目が訪れなくては一生来ません。
ある子に私が英検1級のパス単を贈ったとしましょう。(現在は3級です)

いますぐその子に英検1級のパス単は不要です。しかも準1級を取らなければ一生使うことはないかもしれません。
それだけにその子の手に1級のパス単が訪れる可能性が極めて低いといえます。
なので、私は1級のパス単を贈りました。
きっとすぐには読んでもらえないでしょう。
数ページめくって、少し眺めたら本棚行きでしょう。
しかし、それで良いと私は思います。
ほんの1秒でも、その子が英検1級を目指す自分を想像してくれるだけで良いのです。
もしかしたら、高校生になって英検受験を考えた際に、本棚から取り出される日が来るかもしれません。
1つの言葉や出来事で人生の選択肢が変わることはほとんどありません。
いくつもの出会いや出来事が重なりやっと形になっていくのです。
今回はその一端を担っただけで、即効性のある行為ではありません。
ですが、そもそも教育とはそういった性質のものだと私は考えます。
一人一人のことを想い、言葉をかけてもそれがすぐに実を結ぶことはありません。
しかし、そんな一見虚しい営為が折り重なり、少しずつ形を成していくのです。

結論を言ってしまいますと、無駄な教材はないと私は考えています。
その教材自体がその子に使われなかったとしても、我が子を思って買ってくれた親の存在を子どもはしっかりと覚えているからです。
その気持ちが、時間をかけて子どもの価値観を形成して行くのであれば、その行為には大きな意味があるといえます。
そうは言いつつも、無駄になってしまう教材は世の中にたくさんあります。
特に100万円を超える教材の大半に私は否定的です。
その話は話すと長くなりますので、また別の機会にしますが教材選定は慎重に行う必要があります。
買うは大胆に、選ぶは慎重に です。
「この教材はどうなの?」と思ったらぜひ佐藤塾の先生に直接相談してみてください。