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2021年7月17日の記事で、私は中学1年生になるタイミングでの習い事の選択が重要になると書きましたが、先日著書「教育格差」で有名な松岡亮二先生のお話で「小学4年生からシフトが必要」と言うお話を聞き、改めてその認識と地方における子育ての誤解についてまとめてみました。
松岡先生を初めて存じ上げたのは、newspicksのweekly ochiaiで落合先生や宮田先生に熱く語られているのが最初でしたが、その後著書を読み進めていくうちに松岡先生のデータで教育を読み解くアプローチに大変感銘を受けました。
松岡先生の著書「教育格差」「東大生、教育格差を学ぶ」「教育論の新常識」はいずれも示唆に富んでおり、教育関係の方だけでなく、お子さんをお持ちのすべての方々に読んでいただきたい本です。
松岡先生はこの番組の中で、
『社会経済的に恵まれているご家庭は、小学4年生ぐらいのタイミングでそれまでやっていた習い事を辞め、勉強一本に集中する形にシフトする』
『一方、社会経済的に恵まれていないご家庭では、勉強への子育てパターンのシフトがみられない』
とおっしゃっています。
地方にお住いの方々はこの主張に疑問符を持たれた方も多いのではないでしょうか?
特に地方と都会ではこのお話に対する感度は大きく異なると思います。
なぜなら、一般に言われる『中学受験』をするのとしないのでは、大きく事情が異なるからです。
新潟県においては附属中受験がありますが、その準備は小4からでなくても間に合う場合が多いです。
手前みそですが、佐藤塾では小5からご入塾いただいた方の附属中合格率は何とか今現在に至るまで100%を維持できております。受験は時間との勝負なので、まるまる1年以上お時間をいただければ今のところご期待にお応えできています。
しかし、都会の名門私立中受験となると、小4からスタートするのが一般的です。
そのため、勉強一本へのシフトは小学4年生からになると松岡先生はおっしゃっているのでしょう。
しかし、本当に塾以外の習い事が少ない子の方が学業的な意味で成功できるのでしょうか?
この疑問について考えていきたいと思います。
東京大学に進学する子たちの習い事は何?
この記事を読まれている方はきっと、何冊も教育関連の本やブログ、記事を読み豊富な知識をお持ちの事でしょう。
なので、このような話をどこかで聞いたことはないでしょうか?
東大生の親は、子どもの可能性を広げるために様々な習い事や経験をさせる。
勉強しなさい、とはあまり言わないで自主性を尊重する。
私自身も教育関連の本書で、この手の文脈は数多く目にします。
「ピアノ」「水泳」「書道」「公文」などを中心とし、多種多様な習い事をしている子たちがその成功体験について語っています。
しかし、疑問に思ったことはないでしょうか?
その習い事というのは、いつまでやっていた習い事なのかと・・・。可能性を広げることをいつまでやっていたのかと。
当然ですが、1日は24時間で、1年間は365日です。
その与えられた時間をどう活用するかで将来が決まります。
ひょっとしたら彼らは、松岡先生の言うように小学4年生からもう店じまいを始め、それ以降は勉強に集中していたのではないかと。
東京などではおのずと周囲の同級生たちが小学4年生から中学受験モードになっていく姿を見て、「そういうものだ」と認識できる機会があるかも知れませんが、地方で中学受験をする人の存在はまだまだ少数です。
そのため、地方では経済的に恵まれている・恵まれていないに関わらず『勉強へのシフト』が起きにくい土壌があるのではないかと私は考えます。
もちろん、子どもが自分から中学受験をしたいということもほとんどないでしょうし、自発的に好きな習い事を辞めたいと言うこともないでしょう。
その背景には「勉強しなさいとは言わないけど、巧妙に子どもたちが気が付かない程度に誘導する親御さん」の存在があったのではないかと思わずにはいられません。
しかし、これは都会の話で、地方における東大進学者は事情が異なるかも知れません。
そこで東京大学に進学した中学時代の同級生たちの中学時代の習い事について聞いてみました。
その結果が以下の通りです。
K氏 塾・レーシングカー
(現役・理科一類)
O氏 塾・公文式・英会話・ピアノ
(浪人・文科三類)
T氏 塾・ゴルフ(現役・文科一類)
H氏 塾のみ(現役・文科二類)
M氏 塾のみ(現役・文科三類)
ちなみにレーシングカーとゴルフは習い事というより趣味で、毎週あるようなものではなかったそうです。
あくまで当時の附属長岡中学校に在籍していた同級生たちの話ですので、これで地方における習い事と学力の相関関係を証明するにはあまりにもデータが少ないと言えますが、少なくとも私の周囲にいる東大卒の人たちは勉強以外の習い事にはあまり積極的ではありませんでした。
同級生に限定せず、その周囲にも話を広げた場合でもやはり同様でした。
小学生まではいくつも習い事を掛け持ちしていたが、中学に入る段階でほとんど辞めて勉強に専念したと口をそろえて言います。
もちろん例外もあると思いますが、誰も口には出さないリアルな実情を垣間見たような気がしました。
東京大学ばかり例に挙げていますが、その他の旧帝国大学や国公立大に進学した人たちにも今度話を聞いてみて確認したいと思います。
釣りが大好きで土日は釣りしていた新潟大学医学部医学科現役合格したK氏も「平日は勉強以外やる余裕はなかった」と語ります。
勉強だけが人生ではありませんし、学歴も何にも優先するほどのものではないことでしょう。しかし、世間が持っている「習い事」のイメージが実態と異なる可能性について知っておいて損はないように思えます。
先にも述べましたが、子ども自身が好きな習い事を辞めたいということはほとんどありません。そのため、人生の先輩である親御さんの方で上手にリードしてあげる必要があります。
もしそうでなければ、子どもは広げ続けた可能性に圧迫され、押しつぶされてしまうかも知れないからです。
毎日習い事があり、場合によっては1日にいくつも掛け持ちしている。
そのような状態が何年も続けばいかに優秀なお子さんでも、あまりにも多ければ気疲れし、睡眠時間は減り、徐々に学習効率も下がってしまうでしょう。結果、成績の低下にも繋がりかねません。
まずは学校の授業をきちんと理解する。そのために必要な睡眠時間や休息を削ってまで習い事をするようでは本末転倒です。
そういった意味では、学習塾も整理の対象となりえるでしょう。
何か本気で志したいことがあるのであれば、取捨選択は必要です。勉強や学歴などは無難な保険にすぎないと断じ、何かに集中することも大いにあり得ると思います。
何かを成し遂げるには、何かを犠牲にしなければならず、東京大学に進学した彼らも自覚的か無自覚かに関わらず、何かの可能性を犠牲にしてそこにたどり着いたはずです。
要はその選択とリスクについて自覚的であることが子ども自身とその保護者様に求められることなのではないでしょうか。