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皆さんはギフテッドという言葉を聞いたことはありますか?
ギフトという言葉は日常的に耳にしますが、ギフテッドという言葉はあまり馴染みがないかもしれません。
ギフテッドという言葉を日本人に一番馴染みのある言葉で表現すると、
「天才」がそれに当たります。
実際には一般的な日本人が想像する天才とは意味合いが違うのですが、ここでは「ギフテッド」=「天才」ということで話を進めていきます。
ギフテッドを語る上で先に世の中のギフテッドに関する誤解について説明しておかなくてはなりません。
多くの大人がギフテッドの意味を誤って覚えてしまっており、それがギフテッド児にとっての不幸にもつながります。実際多くの親が自分の子どもをギフテッド児と認識できず、本来はギフテッド児に適さない教育方法を採用してしまっているのです。
以下はいわゆる「ギフテッド神話」と呼ばれるギフテッド児に対する誤ったイメージです。
以上18点挙げましたが、これを全て逆にするとほぼギフテッド児の特徴に該当します。
最後の「教師はギフテッド児にどのように応じたら良いか的確に理解している」は、特に今の日本教育の最大の問題点の一つだと私は考えます。
教育現場におけるギフテッド児は、おおよそ教師にとって扱いやすい存在ではなく、逆に手に余る生徒になってしまうことの方が大部分です。
親も教師もギフテッドの知識がないため、本来ギフテッド児が受けるべき教育がその子に届けられず、むしろ誤った対応をして、せっかくの才能をダメにしてしまうことの方が多いです。
日本の学校教育は、最大公約数をある程度の学力水準に押し上げるには適したシステムですが、集団の輪をよくも悪くも外れる子どもには居心地の悪いものになってしまっています。
個人の特性や多様性ではなく、集団としての規律とマナーが優先させるからです。
集中力が高く、物事に没頭している子が授業時間を超えて物事に取り組んでいたりしたら、メリハリのない子として注意を受けますし。
授業中教師の教えた内容に鋭い観点から疑問を投げかける子は、教師としてはルーティン外の厄介な存在として捉えられます。
多くの場合、ギフテッド児は学校にとって問題児として映ります。
現にエジソンもアインシュタインも学校側が手に負えなくなり放校となっています。
ギフテッド児を育てる上で、その存在を正しく認識することが重要です。
以下のものがギフテッド児の共通特性です。
1、早ければ乳児期から並外れた注意力が見られる。
2、習得が早い。考えを素早く関連付けまとめられる。
3、多量の情報保持。記憶力が非常に良い。
4、年齢の割に並外れた語彙と複雑な文章構造を持つ。
5、言葉のニュアンスを含む問題を好んで解く。
6、数字やパズルを含む問題を好んで解く。
7、就学前に、ほぼ独学で読み書きスキルを身につける。
8、並外れた感情の深さ、感情と反応の激しさ、過敏さ。
9、抽象的、複雑、論理的で洞察力のある思考。
10、幼少期から理想主義と正義感が見られる。
11、社会的・政治的問題や不公正さ・不公平さへ関心を示す。
12、長時間の注意維持、粘り強さ、強烈な集中力。
13、自分の考えることで頭がいっぱい。白昼夢。
14、自身や他者のできない状態や遅い状態にいたたまれなくなる。
15、基本スキルをあまり練習なしに早く習得できる。
16、鋭い質問。教えられたこと以上のことをする。
17、興味関心の幅が広い(ただし、一つの分野への強い関心を見せることもある)
18、高度な好奇心。途絶えることのない質問。
19、実験や違う方法で試すことへの興味関心。
20、普通は考えないような方法や斬新な方法で考えや物事をまとめる傾向(拡散的思考)
21、鋭く時に並外れたユーモア、特にダジャレを使ったユーモアのセンスがある。
22、複雑なゲームや枠組みなどを用いてものごとや人を仕切りたがる。
23、想像上の友だちがいる(未就学児)。鮮明なイマジネーションがある。
もし、この共通点に複数該当することがあれば、あなたやあなたのお子さんはギフテッドである可能性があります。 これらの特徴からわかるようにギフテッド児は育てやすい子どもではなく、むしろ一部の専門的知識と人間的度量を有した人間でないと関係を保つことすら難しい存在です。 ギフテッド児は知的好奇心の塊です。 「なんで?なんで?」と永遠と繰り返される問答は、指導者として負担が大きく、教師の中にはその質問に対して「そういうものなの!」と答えて会話を終わらせてしまう人もいます。
残念ながら教師という人種の大部分はプライドが高く、わからないことを聞かれると自分の権威性が落ちることを極端に恐れるあまり攻撃的になる人間が少なからずいます。(教師に限らず、我が子と接する親にも言えることですが)
しかし、これは人間である以上ある程度仕方のないことだと私は思います。
実際私もギフテッド傾向のある子に質問攻めされ、答えに窮した経験は片手では足りません。
「なんで海の水はしょっぱいの?」
「なんで焦げは黒いの?」
「なんで空は青いの?」
などなど。
ちなみに私は彼らの質問攻めのおかげで、これらについて調べ、理解することができました。
質問されなかったら一生気にすることもなかったかもしれない知識です。
私自身の苦い経験ですが、これらの質問に窮した際、いい加減な回答をしたり、ごまかしたりするとギフテッド児はそれを見抜きます。
そして、「この先生に難しい質問したらダメなんだ・・・」と次回からその子から気を使われるようになるのです。
講師としてこれ以上の屈辱はありません。(まだ馬鹿にされた方がましです!)
悔しいので、そうした時は後で徹底的に調べ、翌日その子に解説します。(その際あらかじめ質問されそうな周辺知識も予習しておく必要があります)
この記憶はもう10年近く前の記憶ですが、今なおはっきりと覚えているのですから、当時の私はよほど悔しかったのだと思います笑
こうして苦い経験をしながらも、ギフテッド児との付き合い方を学んだのです。
彼ら・彼女らは確かに卓越した才能を持っていますが、精神的にはまだ子どもで、理解者・協力者を常に求めています。なまじ卓越している分、周囲から理解を得にくい彼ら・彼女らの理解者への渇望は他の子どもたちより強いです。
無理に指導者としての力量を示す必要はなく、ただ彼ら・彼女らに寄り添って一緒に悩み・調べてくれる存在であればよいのです。
「ごめん、先生それわからないから1日だけ待ってもらえる?調べて明日教えられるようにするね」
「う~ん、確かになんでだろうね? ちょっと一緒に調べてみようか」
こんなコミュニケーションでもギフテッド児は喜んでくれます。
わからないからと言って大人を見下したりはしません。
奇しくも、ギフテッド児に対する教育方針は、佐藤塾が採用しているフィンランド式教育にも通じるものがあります。
フィンランド語で「なんで?」は「ミクシ?」です。
ただの暗記ではなく、「なぜそうなのか」という着眼点を持つよう日々指導しております。
北欧の小国でありながら、初等教育で世界最高と呼ばれているフィンランド教育ですが、その成功の背景には子どもたちの多様性を活かし、ギフテッド児にも好まれる教育方針を採用しているからなのではと私は思います。
繰り返しますが、ギフテッド児は他の子どもより生きにくい性質を持っています。
過ぎたるは及ばざるがごとしではありませんが、豊かすぎる感性が必要以上に悲しみを生んだり、些細な匂いや音にストレスを感じるギフテッド児も多いです。
そういった子と接するうえで重要なのは、近くにいる大人がその特性を正しく理解することです。
しばし天才とは多才で優等生じみた自律した人間のことを指すように言われますが決してそうではありません。
むしろギフテッド児は人の手を借りなければ日常生活ですら困難であることもあり、とても不安定な存在です。
しかし、そんな子でも惜しみない愛情と献身によって大きな花を咲かせることがあります。
そしてその花は他では見られないより大きく、新しいものかもしれません。
手間はかかりますが、ギフテッド児を育てるのは、普通の子育て以上にやりがいのあることなのかもしれません。
佐藤塾ではギフテッド児に対する理解を深めるため、定期的に講師ミーティングで研修をしております。
もし身近でお困りの方がいらっしゃりましたら、いつもでご相談ください。