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ブラウン大学経済学部教授エミリー・オスター著書「子どもの育て方ベスト」
我々のように教育に携わるものたちや子どもを持つが常に意識していなければならないことがあります。
それを忘れたり、誤った認識のまま子どもに接すると、子どもたちにとって良くない結果になってしまうことがあるので、注意しなければなりません。
この著書自体は教育による結果をそれぞれデータで解析し、実際に効果がどのようであったかを数多くわかりやすくまとめてあります。
世の中に多い教育メソッド本とは切り口が違いますので、良かったら書店で手に取ってみてください。
この本の中で私が気になった項目を少しご紹介すると
・子を想った「厳しい選択」は有効?
・母乳そのものの「子どものIQ」への影響はわずか
・できるだけ早く「肌」を触れ合わせて
・スポンジやタオルで拭くと「体温」が変わる
・母子同室だと「睡眠時間」が少なくなる
・くるまれると長く眠る
・「揺らす」では泣きやまない
・「父親」も産後うつになる
・「おしゃぶり」の影響はなし
・赤ちゃんに「掛けるもの」はいらない
・親の仕事は子どもに影響する?
・「早く話した子」は天才?
・入学直前に「特別なこと」をしたほうがいい?
・夫婦生活は出産後「悪化」する
・「考える」より「信じる」ほうがいい瞬間
などです。どれも短く結論にまとめてあって読みやすかったです。個人的にはグラフと表と参考文献が載せてあった方がうれしかったですが、たぶんそうすると広辞苑並みの厚さになるので割愛したのでしょう。
タイトルにもありますが、昨今、人気の成田先生の専門はデータで教育政策等の結果を分析するというものです。
人間案外思い込みで行動していることが多く、それを続けると期待する結果が得られないことも成田先生は繰り返し警鐘されています。
では、なぜそうなるのかなどの疑問について一緒に確認していきましょう。
人は自己の経験を過大評価する
「人は自己の経験を過大評価する」、これが我々教育に携わるものや、子どものいる親御さんが気を付けなくてはならないことです。
これは私自身の反省でもあります。
少し昔の話になりますが、私が現役時代に行っていた勉強法を生徒に教えました。
私はその方法で短期間に大きく成果を上げ、「この勉強法が正しい」と確信し、その勉強法に絶対の自信を持っていました。
しかし、その方法を実際にやってみてもなかなかその生徒さんの成績は上がりませんでした。
最初は言う通りの方法で勉強していないのではないかと思いましたが、どうも違うみたいです。
その時の私には?マークがたくさん浮かんでいました。
これは、私が自身の経験を過大評価してその子にあっていないいない勉強法を勧めてしまったことによる結果でした。
今の世の中、勉強法を探せば山のように出てきます。
しかし、その大部分はいわゆる勉強のできる成功者によるメソッドであるため、万人に合っている勉強法とは限りません。
かのミスタージャイアンツで知られる長嶋茂雄の教え方で
「スーッと来た球をガーンと打つ」というものが有名ですが、これでは再現性があまりにもありません。
長嶋茂雄のような一部の天才には理解できても、それ以外の人にはちんぷんかんぷんです。
その逆もまたしかりで、誰かの練習方法が長嶋茂雄に合っているとも限りません。
成功者の言葉というものは説得力があるので無条件に受け入れられがちですが、それがその場に適しているか考慮する必要があります。
塾で教えてくれる先生も、自身の成功体験をもとに、生徒のためを思って最も良いと思えることを伝えますが、その際はそれが再現性のあるものなのか注意する必要があります。
テレビなどで「八百屋の景気」について話している番組があったとして、専門家やコメンテーターが「私の知り合いの八百屋さんがこう言っていました」と言うと一気に説得力が生まれます。
世の中に数多くある八百屋さんのうちたった1つの事例であるのに、すべての八百屋さんの意見のように思えるから不思議です。
このように人間は自身の経験や身近な事例を過大評価してしまう傾向があります。
避けるべきセンメルヴェイス反射とは?
センメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)は、通説にそぐわない新事実を拒絶する傾向、常識から説明できない事実を受け入れがたい傾向のことを指す。 この用語は、オーストリアのウィーン総合病院産科に勤務していた医師センメルヴェイス・イグナーツが産褥熱、今日で言う接触感染の可能性に気づき、その予防法として医師のカルキを使用した手洗いを提唱するものの存命中はその方法論が理解されず大きな排斥を受け不遇な人生のまま生涯を終えた史実に由来する。
当時、細菌という概念がまだない時代。
出産を担当した医師の手から細菌が移ったことが原因で、産後母親が亡くなってしまうことが続きました。
しかしその逆、手洗いをしている看護師さんが取り上げた場合は死亡率が低いことにセンメルヴェイスは気が付きました。
この事からカルキで手洗いしてから出産を担当するよう提唱したセンメルヴェイスでしたが、当時の医師たちからはトンデモ論として扱われてしまい、最後は非業の死を遂げました。
医師たちからすれば、はるか昔から続けてきた方法であり、ましてや人の命を救う立場の医師が原因で患者の命が奪われているなど到底受け入れられない話だったのです。
私はこれが教育の分野も起こりうると思いますし、絶対に避けなくてはならないとも思います。
慣例や習慣、俗説は時に事実を覆い隠し、期待する結果とは違う結果を生み出してしまうことがあると思います。
「おれはこのやり方(勉強法)で成功したんだ!」
「私はこの方法でうまくいったんだからあなたもそうしなさい!」
と自己の経験を絶対の法則と誤認し、自らの子どもに課してしまう親や教師が少なくありません。
一般に学歴の高い親や教師にこの傾向は高いので、自身の成功体験が柔軟さを失わせているのです。しかし、これによって親や教師を責めるわけにはいかないのです。これは誰にでもある一面で、ある程度やむを得ないことなのです。
少し違うケースだと「おれは大学なんか行かなくても事業で成功できたんだ!」という社長さんは、お子さんや他人が同じようにそうかと言えばわからないので、これもまた自らの成功体験を過大評価していると言えます。
代表的なのは堀江貴文ことホリエモンさんですね。
「大学なんていらない」とおっしゃっていますが、それは堀江さんにビジネス的素養が備わっていたから言えるわけで、万人に当てはまるかは疑問があります。
こうした微妙なずれを補うために、
データと統計の活用は有効です。
先ほどのセンメルヴェイスも統計的に数値を見比べてその発見につながりました。
教育のような一義的な因果関係の検証が難しい分野においては特にデータと統計による相関関係の検証が必要だと私は考えます。
データと統計に潜む危険とは?
これだけデータと統計を勧めておいてなんだ、と思うかもしれませんが、データと統計への過信も禁物です。
データと統計による結果は大多数がどのようであるかの結論を出すことはできますが、個々の事例に当てはまるかはわかりません。
大切なことは、自己の経験以外の尺度を持つこと
データと統計をうまく使い分けることつまり中庸が大切なのです。
アメリカの成功事例をそのまま日本に取り入れることも同じように気を付ける必要があります。
日本とアメリカでは文化も政治も何もかも違います。
佐藤塾もフィンランド式を最も取り入れてはいますが、これは他に形容する手段がないため、便宜的に使っているに過ぎません。最も当塾の教育方針にそくしている教育がフィンランド教育だったのです。(身内にフィンランド教育を大学で研究しているものがいることも理由の1つではありますが)
教育とは演繹帰納によって最適な解が導き出せるものではなく、あくまでも個々の事例と向き合い都度、その場で最も良い解を模索していく試みです。
このことに自覚的であることが教育に携わる人間には欠かせない要素だと私は考えます。
そのためには常に新しい情報に触れ、改善を続けていく必要があります。
間違っても過去の事例に引きずられ、センメルヴェイス反射のようなことが起きないよう努めていきたいと思います。
Disneyland will never be completed. It will continue to grow as long as there is imagination left in the world.
- Walt Disney(ウォルト・ディズニー) -
ディズニーランドが完成することはない。世の中に想像力がある限り進化し続けるだろう。