この記事は3分で読めます。
ワーク3周すれば誰でも450点以上取れる?
佐藤塾では定期テスト前には必ずワーク3周してから受けましょうと伝えておりますが、実はこの3周には意味があります。
正しく3周すれば誰でも450点以上取れる可能性がありますので、最後までお付き合いください。
いつも勉強しているのに450点の壁をなかなか超えられない人は必見です。
450点取れないワーク3周の3要素とは?
①同じ日に3周する
②毎回すべての問題を解く
③勉強になっていない(目的性訓練ではない)
これら3つの点に気を付けてあげればワーク3周の意味も劇的に変わってきます。
特に③については一見勉強しているように見えても点数が伸びない子にありがちな落とし穴ですので、注意が必要です。
テスト前に慌てて3周したり、1回目から赤ペンで答えを書き込んだりするのは論外ですので除外してあります。
では①から③まで順に説明していきます。
①同じ日に3周してはいけない
同じ日にやると記憶の定着という観点から勉強効率がよろしくありません。
せめて1日あけてもう一度やることを繰り返すとより強固な記憶となりますので、同じ日に3周するのはよしましょう。
よくすぐに復習しないと忘れちゃうから復習はすぐに行いましょう!
と「エビングハウスの忘却曲線」をもとに言う先生もいますが、その理解には少し誤解があります。書籍化されている教育本でも結構間違っていることがありますので、誤解されたものの方が有名になってしまっています。ここでは詳しく語りませんが、それでも復習は重要です。
すぐにやるのではなく1日あけて復習するようにしてください。
②毎回同じ問題を解く必要はない
1周目はすべての問題を解く
2周目は1周目で間違えた問題だけを解く
3周目は2周目で間違えた問題だけを解く
毎回印をつけて、間違えた問題だけを次解いたら100%解けるレベルまで仕上げます。
段々、解く問題数が減っていきますが、それでも難しい問題だけが残りますので苦しい3周目になるはずです。
①でも言いましたが同じ日に解くのではなく、翌日に再度挑戦するくらいでちょうどよいです。
テスト当日は3周目でも間違えてしまった問題だけノートにまとめ持っていきましょう。
それを眺めてテストに臨むことをおすすめします。
そのノートはあなたがテスト勉強してきた終着点なので、テスト前にどこを見返せばよいかという情報が詰まった値千金の情報です。
③目的性訓練をせよ!(超重要)
今から10年以上前の話を少しします。
当時、私は個別指導である男の子の数学を受け持っていました。
その子はあまり数学が得意ではなく、中学2年生なのに分数の計算も怪しいところがありました。
文字式の四則計算で足し算と掛け算を混同したり、塾に来た時点で基礎学力に課題を持っていました。
そこで私はその子のために小学生レベルの算数から中学2年生までの数学の問題すべてを満遍なく載せた計算プリントを作り、授業の最初に理解度の確認を毎回行っていました。
わからないところは解説しますので、私の目には「今、何年生レベルまで来ているか」がはっきりとわかりました。
最初は悲惨な結果でしたが、徐々に点数が上がってきて、40点を超えたあたりで急激に点数が伸び始めました。
ある時、私は1枚の計算プリントを渡し、「次回これをテストするから勉強してくるように」と言いました。
そして次回そのテストをやると、その子は見事100点を取ることができました。
しかし、その答案を見て、私はある行動に出ました。
私がもう1枚の計算プリントを渡し、「次はこれを解いてみて」と言うと、2分もしないうちにその子の手は止まってしまいました。
その時私が私はもう1枚の計算プリントとは
「数字だけを変えた全く同じ問題の計算プリント」でした。
結果は44点。
先ほどの100点満点と比べると信じられないほど成績は落ちていました。
「だよね」と頷きながらあきれ顔をする私にその子はバツの悪そうな笑みを浮かべました。
そう、その子は「計算プリントの答えを暗記していたのです」
そのため、数字だけを変えた全く同じ計算プリントに太刀打ちできなかったのです。
なぜそれに私がすぐに気が付いたかというと、彼が書いた答案には「途中計算」が全くなかったのです。または途中計算があっても答えとリンクしていなかったのです。
ちなみにその子はその2か月後に実力で100点取れるようになりました。
「答えを覚える」というこの勉強法に意味がないことは皆さんもわかると思いますが、実はこれと同じことを大部分の中学生がやってしまっているという事実があります。
わからなければ答えをみる。
答えをみて覚えた気になる。
これでは応用が効きませんし、本当の学力は身につきません。
これを打破するためには「目的性訓練」について正しく理解し、自分の勉強に取り入れる必要があります。
目的性訓練とは?
目的性訓練とは「目的を持った訓練」のことです。
重量挙げに例えてみましょう。
もしあなたが重量挙げの世界で実力をつけたいなら、まず自分でも無理なく持ち上げられる重さからやるはずです。例えば10kgとしましょう。
次にその重さに慣れてきたら少しだけ重くして15kg、それにも慣れたら徐々に重くしていきます。
この工程を繰り返し、気が付いたら200kgも持ち上げられるようになっているかも知れません。(ちなみにギネス記録は520kg)
しかし、考えてみてください。
もしあなたが最初の10kgのまま重さを変えずに同じ期間トレーニングしていた場合はどうでしょう?
訓練期間は同じなのに、得られる成果には大きな開きが生じます。
これが目的性訓練の効果です。
ゴルフ界のレジェンド、タイガーウッズはバンカーに埋まったボールを外に出す練習を繰り返し行い、技術を磨きました。
タイガーがテレビのインタビューで「毎日バンカーを抜け出す訓練を1時間やっている」と言っていたとしましょう。それを聞いたあるタイガーに憧れる人が同じ訓練を同じ期間やったとして同じだけの技術を身につけられるでしょうか?
きっと答えは違うと思います。
タイガーの1時間と憧れる人の1時間では同じバンカーを抜け出す訓練でも目的性訓練の精度が異なり、同じ成果は得られないはずです。
ただバンカーにボールを置き、ただショットしていた人間に対し、タイガーは毎回ボールを踏み、深さを変え、難易度を上げながら訓練しています。(実話)
時には不自由な体制からのショットを試みたり、全身に砂を被る不快なショットも試したはずです。
すでにできることや、得意なことをしていると気分が良いです。
自分が誇らしくなるでしょうし、少なくともいやな思いはしないと思います。
しかし、その快適な空間「コンフォートゾーン」から意識して抜け出さないと全く成長のない人間になってしまうのです。
その都度、適切な「負荷」をかけ続けることが成長につながるのです。
例えば、「英語が苦手だから英語を重点的にやるように」と先生から言われても、大部分の子は苦手科目への着手には消極的です。
好きな科目の勉強だけやり、苦手科目の勉強は遅れがちになります。
またはすでにできるような問題ばかりをやり、勉強した気になる。
それではなかなか5科目の総合点が上がらないのです。
適切な「負荷」をかけ続けることが成長につながる
この適切という言葉には大きな意味があります。
先ほど例に出した中学2年生の子は、中学生でしたけど私は小学生から復習しました。もちろん、本人には小学生の範囲であることは言いません。
私はその子の実力に合った、適切な「負荷」をかけていきました。
もしその子が今学校でやっているレベルの問題。あるいは定期テストの最後に出るような難問を解かせようとしていたらどうでしょうか?
きっと、その「負荷」は彼を押しつぶしてしまったでしょう。
逆にいつまでも小学生レベルの問題を解かせていたら彼の成長は望めないばかりか、やる気すらも削いでしまったでしょう。
「次は少し難しいよ?大丈夫?」と少しオーバーは態度で1つ上の学年の問題を解かせ、正解したり理解できたら「すごい!もうわかっちゃったの??参ったなぁ~」と悔しがる姿を見せ、徐々に中学2年生レベルまで上げていきました。
このように相手の実力に合わせ、負荷をコントロールしてくれる存在がいれば成長はしやすいです。
逆に自分1人だとそれは困難を極めます。なぜなら人間はどうしても「楽」に流れてしまう生き物だからです。
禁酒を誓った翌日の夜にはもうビールを飲んでいる。それほど人間は弱い生き物なのです。私だけじゃありません。みんな弱い生き物なのです。
そのため、トレーナーのような存在が重要なのです。ダイエットの世界でライザップが一定以上の成果を挙げているのには、そのハードなトレーニングメニューだけではなく、食事も運動も管理してくれる存在がいるからです。
勉強における目的性訓練とは?
話を定期テストまで戻しましょう。
ワーク3周はただ3周すれば良いという話ではありません。
タイガーウッズのバンカーショットの訓練のように「ただ1時間やった」だけでは効果がないのです。
自分が気持ちいいと感じる勉強は思ったほどの成果を上げていません。
無理のない範囲で少しずつ負荷を加え続けると効果的です。
具体的には、先ほどの計算プリントのように数字を変えても解けるかやってみるのも良いです。
円錐の体積を求める問題があるなら、三角錐の場合はどうなるかを考えてみましょう。
宿題と同じ問題はまずテストには出題されません。同じ問題が出ることを期待して答えを覚えるのは「株を守る(くいぜをまもる)」と同じです。
ものごとがうまくいかずに、元気がなくなり、しょんぼりしている人の様子のことをことわざで何というか?(あ から始まります)
元気がなく、しょんぼりしている人の様子を野菜と塩を使って例えたことわざを何というか?
青菜に塩 ということわざの意味を30~40字以内でかけ
この3つは同じ「青菜に塩」ということわざに関する問題ですが、出し方には様々なバリエーションがあります。
ただ語句を選ぶだけの問題であれば即答できる人も、いざ説明しろと言われたらなかなかできないものです。
このように条件を変えても解けるかという試行錯誤が勉強には欠かせません。
この試みは学習を立体化させ、骨太で柔軟な学力を育ててくれます。
これは「負荷」のかかる勉強です。しかし、「負荷」のかからない勉強は勉強ではなくただの「作業」です。成果は得られません。
当然、その「負荷」も実力がついてきたらどんどん重いものになってきます。中学1年生と高校1年生の「負荷」は全く異なります。
年齢や実力に応じた「負荷」を正しく認識することそしてそれを実践できる環境に身を置くこと、それこそが学業だけに限らず、すべての分野における成功に欠かせない要素なのかも知れません。