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全然勉強していないのに成績が良い人はいる?
先日、高校生のある子から「同級生に全然勉強していないのに学年トップな天才がいる」という話がありました。
その話を聞いて私は思わず「へー、すごいね」と答えましたが、ふとそんな人本当にいるのだろうか?という疑問がわきました。
海外における「ギフテッド」と異なり日本の「天才」という言葉は非常は幅が広く、主に誉め言葉として用いられます。
私の中での天才というのは大きく分けて2つのイメージがあります。
1つは映画「レインマン」に出てくるレイモンドのような突出した能力を持っている人物です。
もう1つは河野玄斗さんのような、万能型で物事を非常に効率よく進めることのできる人物です。
前者は特定のことが非常に長けている一方、他のことが苦手だったりして「長所」がより鮮明に映ります。
もはや日本における天才の代名詞にもなっているアインシュタインも5歳まで話すことが出来なかった一方、数学に関しては突出した能力を持っていたと言います。
人類の科学を進めたという功績からもアインシュタインを天才と称することに異論がある人は少数でしょう。時としてこのタイプは「奇人・変人」という好ましくない称号を得ることもあります。
その一方、万能型の後者は時として「秀才」と称されることも多いです。
バランスよく物事をこなすので、称賛されてながら成長してきました。結果、コンプレックスもなく、人格的にも円熟した好人物であることが多いです。
この2つのタイプのうち、勉強で成果を残しやすいのはどちらでしょう?
特定の科目に限定するのであれば「前者」に軍配が上がり、全科目ということになれば「後者」に軍配が上がるのではないでしょうか?
すると、冒頭私に高校生の子が話してくれた「全然勉強していないのに学年トップの天才」は必然的に「後者」ということになります。
しかし、ここで私の中で新たな疑問が生まれてしまいました。
『全然勉強をしていない』で学年トップになれるのだろうか?
これに関してはすぐに「NO」という答えが私の中にありました。
少なくとも、私がこれまでの人生で接してきた成績優秀者たちは誰もが「たくさん勉強していた」からです。
その中には「主席」で「100人の宇宙人の仲間」になった人もいます。
彼らは毎日平日でも6時間以上の勉強をしていました。土日は10時間はゆうに超える勉強量です。傍目から見ていると涼しい顔をしていますが、塾の自習室で勉強した後も、自室で机に向かっていました。
しかし、その姿を見ていない人たちからは「努力の途中経過」が見えず、むしろ遊んでいる姿しか見えないため、「全然勉強していないのに成績が良い」ように見えるのではないでしょうか?
勤務先では機敏に働いているお父さんが、自宅ではだらだらしているように見え、家庭内での威厳を失ってしまうのと似ていますね。
天才は努力を隠す?
白鳥は水面下ではバタバタしているのに、それを見せないという話があります。
そういった意味で努力を隠すことで自身の「天才性」を演出するという方法もあるかも知れません。
確かに私の中学校時代の同級生は「全然勉強していない」アピールをする人が多かったようにも思えます。
しかし、その言葉が仮に本人にとって真実だったとしても、意味しているものが聞き手と異なることはあると思います。
「(本当は1日8時間勉強する気だったけど、6時間しかできなかったから)全然、勉強していないよ」
となっているのかも知れません。
もしくは必死にやったけど、それで成果が出ないと格好がつかないから予防線を張っているという可能性もあります。
私だって、自分で書いた記事を人に見ていただく時は「ちゃちゃっと書いた駄文ですが」と予防線を張ります。
(翌朝読んでみて、本当に駄文だったことの方が多いのですが)
9か月で公認会計士に合格する河野玄斗さんは「天才」?
ここまで話した内容にはある「穴」があります。
それは「本当に短時間しか勉強していないのに成果を出す人」の存在です。
9か月で公認会計士はちょっと凄すぎますね。
確かに中には「ちょっと聞いただけ」で内容をいち早くとらえ、理解してしまう人がいます。
10代のうちに10カ国語以上をマスターする人もいます。
そんな彼らはやはり「天才」なのでしょうか?
実はこれに関しても「解答」が存在します。