ギフテッドを苦しめる日本の義務教育への回答は何か?

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皆さんは護送船団方式という言葉を耳にされたことはありますか?

護送船団方式(ごそうせんだんほうしき、: convoy system[1])とは、行政手法の一つ。軍事戦術として用いられた「護送船団」が、船団の中で最も速度の遅い船に速度を合わせ、全体が統制を確保しつつ進んでいくことになぞらえて、特定の業界において経営体力・競争力に最も欠ける事業者(企業)が落伍することなく存続していけるよう、行政官庁がその許認可権限などを駆使して行政指導などにより業界全体をコントロールしていくことを指す。

要するに「一番ペースの遅い人に合わせて集団行動すること」です。

小学生の集団登校や、山登りにも共通する行動です。

自然界では草食動物の多くがこのような行動を本能でとっています。

特にバッファローの群れなどは、超個体とも表現され、より周到に護送船団方式を実行しています。

子どもや老いたバッファローを群れの内側に入れ、力の強い若いバッファローは群れの外を固めます。その結果、外敵は遠ざけられ、群れは守られます。

日本の義務教育における学校職場でもこのような行動が求められます。

ペースの早い子に合わせるのではなく、ペースの遅い子に配慮した歩調をとります。

一見とても優しい社会的行動のように見える「護送船団方式」ですが、この「護送船団方式」にはある犠牲者が必然的に生まれます。

それは「ペースの早い子」です。

その中でもギフテッドは「とてもペースの早い子」です。

日本の義務教育現場では、「護送船団方式」が採用されておりますので、飛び抜けてペースの早い子は授業に退屈を感じ、犠牲になってしまいます。

しばし、「勉強がわからないで置いていかれる子」が可哀想だと言われますが、それと同じくらい「わかっていることを教えられる子」も可哀想なのです。
勉強がわかっているのだから贅沢な悩みだ、と言われるのは誤りです。

勉強がわからない苦痛と、わかりきったことを延々と教えられる苦痛は同様に耐え難いものなのです。

この問題を放置すると、学習意欲が削がれ、ひいては勉強嫌いになってしまうのです。

より学習意欲が高く、成績の良いものほどこの「護送船団方式」の犠牲となります。

この現象は、社会主義のシステムにも通ずるものがあります。

1991年にソビエト連邦が崩壊した要因は複数挙げられますが、そのうちの1つとして、働いても働かなくても収入が変わらないという社会主義のシステムが労働生産性を下げ、社会全体の生産性を下げたことが挙げられます。

社会主義の理念としては弱者を作らず、社会が個人を守る構造がありますが、その中で犠牲になっているのは勤労意欲が高く、工夫して生産性を高めようとする人です。
「寝ずに頑張っている私と、サボっている隣の家が同じ収入なのはおかしい!」と声をあげるものが出てくるのです。

これは教育の場でも同じことが言えます。

授業に予習をして臨む子と、予習をしない子。

塾に通って勉強している子と、家でスマホをいじっている子。

どちらが正しくて、どちらが悪いという話ではありませんが、授業でわからない子に重点が置かれるのは、わかる子からすると不平等に感じるのはある程度仕方のないことだと思います。

以前のブログで日本の義務教育はギフテッドに向かず、才能を伸ばすどころか枯らしてしまうというお話をしましたが、逆に勉強が苦手な子にとって今のシステムは好ましく、有効に機能しています。

一方アメリカのように少数のエリート層が社会を動かしていけば良いという考えや資本主義のもと格差を許容する場合、できる子にとっては良いですが、そうでない子たちにとって学校はあまり居心地の良いものではありません。またできる子の中でも、ギフテッドにとってはそれでもやはり退屈に感じてしまうという問題もあります。

これらの課題に対し、アメリカは飛び級制度の導入で対策しております。

成績優秀は、この場合は卓越者と呼ぶべきかもしれませんが、学習の進度が著しく異なる子の場合、飛び級が認められるのです。

これは一見奇異なことのように感じるかもしれませんが、少し考えてみれば、これはとても理にかなった考え方です。

1人1人、同じ年齢でも得手不得手は異なりますし、成長速度も違います。逆に年齢で区切ってしまう方が乱暴なのかもしれません。

目次

佐藤塾の飛び級制度

これらの事実を受け、佐藤塾の集団指導では飛び級制度が導入されております。

現在行われている具体的な例を挙げると

小学5年生が中学1年生の英語の授業に参加

中学2年生が中学3年生の英語の授業に参加などです。

この飛び級している小学5年生の子は、お父さんが大学の先生ということもあり、早期から数学の学習が進められていました。現在高校数学レベルですが、清水先生の算数の授業では名門中学校の入試問題に四苦八苦しています。
高校3年生に出しても解ける子の方が少ないほど難しい問題ですので、苦戦しながらも意欲を持って食い下がっている姿にいつもさすがだと感じさせられます。

ギフテッドは総じて早熟です。

受験において人より早く学習を進めることが、大きなアドバンテージになることは言うまでもありません。

しかし、人生において重要なのは人より早く進むことではなく、時間をかけても遠くまで行くことだと思います。人生はロングランです。一時の勝利が長期的な視点で見たら大したことなかったり、逆に挫折や敗北が後々大きな意味を持つこともあります。

そう言った意味で、現在の受験を取り巻く環境が年々若年層化していることに警鐘を鳴らしたいと言うのが私の本音です。
絵本を読むべき時に、文字を覚えたり。
公園で走り回るべき時に、座学に勤しんだり。

時期が来れば自然と学ぶことになることをわざわざ先取りし、情操教育の機会を失することは長い目で果たして良いことなのか、疑問符が残ります。

しかし、ギフテッドに於いては逆です。

新芽が伸びようとしているとき、学年という壁がその成長を阻んでしまうなら問題です。

そのため、佐藤塾では教科担当講師が認めた場合、飛び級が可能となっています。

あくまで本人の意思が最優先で、無理に推奨することではありませんが、結果として高い満足度を維持できております。

我が子がギフテッドかもしれない、またはそうだと感じている方はぜひお問い合わせください。
(もちろんやる気があってどんどん学習を進めたいというお子さんも大歓迎です)

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