ニブイのも才能

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今日のテーマですが『ニブイのも才能』です。

「まちがったっていいじゃないか」という本の中に書いてある内容です。
(著:森毅 京都大学数学教授)

1988年発行の本なので、時代を感じさせる表現が随所に見られますが、良書であることは間違いないと私は思います。

タイトルの内容は、本書の一部分で取り上げられた内容です。
なるほどなぁ、と思わせられたのでみなさんにもご紹介します。以下原文です。

“アメリカに、フリードリクスという数学者があって、頭のにぶさに関しては、世界的に有名である。そのことを知らない人が、数学の議論なんかしても、少しもわかってくれない。たしか代数学者と聞いてきたのに、もう年とってモーロクしたんかいな、などと思う。

ところが、それから二年ぐらいすると、その概念がジイサンにじわじわとわかってきて、もっとも本質的なところをつかんで、世界で一番わかっているのが、このジイサンになったりする。
してみると、ゆっくりとわかるのも、一種の才能のように思う。早わかりだと、どうも上すべりしてしまって、理解が底に達しないらしい。”

この文章に私は頭をガツンと打たれたような気がしました。

私自身、幼いころは特に物覚えはかなり悪い方だったと思います。

先生の言っていることが理解できず、授業は上の空だったこともありました。

教科書は何度も読まないと理解できなかったことも覚えています。

これが勉強だけならまだ良いですが会話の最中にこれが発動するとコミュニケーションに支障がでます。
帰り道にやっと「ああ、これはそういう意図で言っていたのか」とわかることもしばしあります。

すごい時は数年経ってやっと理解します。ニブイにもほどがありますね。
普通の人が普通に出来ることが出来ず、自分は物覚えが悪いのだなぁと自己嫌悪に陥ることすらありました。

そんな私の自己嫌悪を吹き飛ばしてくださったのが、森毅先生のこの言葉でした。

『ニブイのも才能』

そういってもらえると、自分の鈍さも受け入れられるから不思議です。
自分で短所だと思っていたところが長所に思えてくるのですから。

もし、今自分はニブイやつだ、学校で教えてもらっても、塾の先生に丁寧に教えてもらっても全然理解できない、おれはなんて出来の悪い奴なんだ、と思う人がいたとするなら。
それ自体が自分の才能だと受け入れてみてはどうでしょうか?

私自身の経験でもあるのですが、時間をかけて理解したことは自分の骨身になります。
一瞬で理解した人は、時間をかけて理解した人の気持ちがわかりません。
それはつまり教える側になった時、うまく教えることができないことを意味します。

私の場合受験で苦労することが多かったので人より時間をかけて理解していった自負があります。その経験が今の指導に大いに役立っています。
あの艱難辛苦は回り道ではなかったんだ。今ならそう思えます。

1度の試験で英検2級受かった人より3回目で受かった人の方が、2回分経験値があります。一概にどちらが優位とは言えない話かもしれませんが、私は時間をかけて理解した人の方が、講師として優位だと思います。

だから、今勉強がうまくいかなくたって、きっとそれが将来誰かの役にたつ日が来ると信じて挑戦と失敗を積み重ねることが大切なのではないでしょうか?
一番良くないのは、自己嫌悪になった結果、失敗を恐れ挑戦することをやめてしまうことなのですから。

人の足を止めるのは、“絶望”ではなく“諦観(あきらめ)”。
人の足を進めるのは、“希望”ではなく“意志”。

ママ・マリア

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