めっちゃコワイ塾の先生の本音とは?

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これは私が前の塾で教室長をしていた時の話です

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塾長の大激怒、凍り付く教室。 ((( ゚д゚ ;)))

ある時、塾で1人のある男子が大声で叫び走り回って周りに迷惑をかけていました。

その様子をみて「危ないなー」と思った私が声をかけようとした瞬間、教室内に塾長の怒号が響き渡りました。

そして塾長はその子を皆の前で厳しく叱りました。叱られている子は目に涙を浮かべています。

叱っている姿はとても恐ろしく、遠目に見ていた教室長の私は固まってしまいました。

そして感情的に叱る塾長を嫌悪しました。

その日の終わり、「もっと諭すように叱ることはできないのか」「せめて皆の前ではなく裏に呼び出して叱るべきではないか」というような話を塾長にすると、返ってきた言葉は以外なものでした。

塾長「俺が厳しく叱れば周りの子達はあの子を許す」

塾長が言うにはあの時、そばにいた中学生たちはみな迷惑そうな顔をし、走り回っていた子に怒っている様子でした。走り回っている子は正直まわりにあまり気を使うタイプの子じゃなかったので、普段から煙たがられている子でした。

しかし、塾長が激怒し、その子を厳しく叱り泣かすと周りの子たちは「あーあ、叱られて可哀そうに」「ほらみたことか、でも塾長も言いすぎだよな」と思い、走り回っていた子に同情するようになります。

確かに思い返してみたら、泣いているその子にティッシュを差し出したのは、さっきまで迷惑そうな顔をし、怒っていた子でした。

そして休み時間には一緒にボードゲームをしていました。代わりに塾長は塾生たちから避けられていました。

この話を聞いたときに私は「ああ、そういう考え方もあるのか」と感心したことを覚えています。

良い教師は「役者」であれという言葉がありますが、「嫌われ役」もしっかり演じられるかが教師としての力量を試しているのかも知れません。

誰かのために「嫌われ役」を演じるのは大変なことです。演じた結果、嫌われることが多いからです。誰だって人から嫌われたいなんて思いません。ましてやその相手が生徒や子どもであればなおさらです。好かれ頼られたいはずです。

でもあえて嫌われてあげるのがその子のためになるのであれば、我々は役目を全うするべきなのです。

徳川家康(松本潤)を支えた本多正信(松山ケンイチ)

徳川家康の天下取りに貢献した参謀役の本多正信の話でこんなものがあります。

ある時、家康が家臣たちの不手際に対し、大激怒していました。

そこに正信が現れ「何をそんなに腹をたてておられるのですか?」と尋ねた。

家康は大激怒しながら口から唾を飛ばし応えました、それを聞いた正信は

「それは上様のおっしゃる通りだ!なんて馬鹿なことをしたんだ!!!!!」と家康があっけにとられるほど正信は激高し、家臣たちをさらに叱りつけました。

そして家康があっけにとられ苦笑いするのをみて「お前達は、上様の腹の虫の居所が悪くて叱られたと思ってはならぬ。お前達を大事に思われるからこその御教訓なのだ。1人前の人間として召し使ってやろうとのお心から、言わないでもいいことを仰られたのだ。上様はお前らの祖父や父の武功や忠義の事を決してお忘れではない。だからお前達も1度、上様の御機嫌を損じたからと御前を遠慮するではないぞ。ところで、上様はお怒りで大声を出されたので喉が渇いておいでだ。お茶を差し上げよ」と取り成した。

そして座が落ち着くと「お前達、今日からますますご奉公に励め。少しも気落ちすることは無い。上様もそのように思っておられる」と宥めて家康の怒りを解いたと言います。

今回の大河ドラマでそのシーンが描かれるかはわかりませんが、松山ケンイチなら絶対に面白く演じてくれそうなのでぜひやってほしいです。

本多正信は徳川家康と水魚の交わり(魚と水くらいお互いなくてはならない存在)と言われていますが、このエピソードからもなぜ徳川家康が本多正信を信頼したかわかるような気がします。

時として誰かのために嫌われ役を演じる、そんなことが平然とできるような強い人間になりたいものです。

大河ドラマ「どうする家康」を見ていてそんな話があったな、と思い出して書きました。

松山ケンイチさんは「平清盛」で超低視聴率をたたき出し、しばらく大河ドラマから外れていたので今回の配役はうれしく思います。
時代考証など突っ込みどころの多い大河ですが、ドラマとして今後も楽しく見ていきたいと思います。塾生の皆さんも歴史の勉強になりますでのぜひ見てみてください。

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