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数学の早期完成が重要
先日、塾でこんな話を聞きました。

AとBと黄色チャート1Aを夏までに終わらせる約束をしました

素晴らしい、、、
(ぜひそのあと高校1年生のうちに数学ⅡBCを終わらせる約束もしてください【心の声】)
話の内容は「高校1年生の男子たちが3人集まって、同じ範囲を夏までに終わらせると約束したった」というものでした。
何が素晴らしいかというと、その約束は彼らが自主的にしたことだという点です。
彼らは3人とも通う中学校もバラバラで、佐藤塾に入って、ともに勉強をするうちに仲間意識が芽生えたという関係性でした。
佐藤塾では中学3年生時点で、一度卒塾という形で塾を去るのですが、その後1人、また1人と戻ってきて、次の目標に向けて走り出したのでした。

我ら勉強を始める時期は違えど
1Aを終わらせるときは皆同じ!
まさに劉備・関羽・張飛の桃園の誓いでした。
塾に戻ってきた時期はそれぞれ異なりましたので、すでに先に進んでいる子もいました。
その子に追いつくため、夏までに終えるため、あとから加わった子も文句ひとつ言わずに黙々と自習する姿は素晴らしいの一言です。
大学受験では数学と英語の早期完成が何より重要です。
高校3年生にしっかり受験対策に時間を捻出するためにも、学校の進度に甘えることなく、自学で進める必要があります。
今後彼らがこのまま走り続けるのであれば、彼らの大学受験は決して暗いものではないと断言できます。
自学に勝るもの無し
今、佐藤塾長岡校の高校1年生クラスは非常に良い状態でスタートを切っていると思います。
県内トップクラスの学力を有する子たちを先頭に、それについて行こうと努力を重ねる子たち。
数学・英語を教えるのは佐藤塾教室長の清水先生と、英語のプロフェッショナル蓮沼先生。
ストイックで良い緊張感と一体感が生まれていると思います。
そして、そのメンバーのほとんどが中学3年生時点で佐藤塾流の長時間学習に順応し、それを全く苦にしない体力を身に着けているという点も素晴らしいです。

彼らはもう、「勉強しないと気持ちが悪い」
そういう体に作り替えられてしまったのです。
その状態こそが理想であり、堅持すべきものなのです。
SF小説「銀河英雄伝説」でこんな会話があります。
自由惑星同盟の政治家ヨブ・トリューニヒトが稀代の戦術家ヤン・ウェンリーに「君にとっての必勝の戦略とはどういうものかね?後の参考のために是非聞かせてくれないか?」と聞くシーンです。
寡兵で大軍を打ち破るヤンに、トリューニヒトはその必勝のコツを聞きたかったのです。
しかし、その回答は意外なものでした。
「まず、敵に対して少なくとも6倍の兵力を揃え、補給と整備を完全に行い、司令官の意思を過たずに伝達することです。 勝敗などというものは、戦場の外で決まるものです。戦術は所詮、戦略の完成を技術的に補佐するものでしかありません」(ヤン)
そして会話はこのように続きます。
「なかなかに達見だが、すると君達軍人の戦場における能力は問題にならないのかね?」(トリューニヒト)
「戦略的条件が互角であれば、無論軍人の能力は重要です。ですが、多少の能力差は、まず数量によって補いがついてしまいます」(ヤン)
「戦いは数でするものではない、とは考えないのかね?」(トリューニヒト)
「そんな考えは数を揃えることができなかった者の自己正当化に過ぎません。少数が多数に勝つのは異常なことです。 そのような奇蹟を最初から当てにされて戦争を始められたら、前線に立つ者はたまったものではありません」(ヤン)
この回答にトリューニヒトは満足できませんでしたが、私はこれが受験にも当てはまると思います。

まず大前提として勉強量があり、傾向と対策はそのわずかな差を埋めることはできたとしても、大勢を覆すほどの効果はありません。
日本全体の国立大学で見たとき、3人に1人しか受からない大学受験。
その熾烈な勝負に勝つためには、日々の積み重ねが何より大切です。
織田信長の最も偉大な点は、「桶狭間の戦い」を二度とやらなかった点にあると私は考えます。
寡兵で大軍を打ち破る、傾向と対策で受験に勝つ。
それは非常に魅力的な話に映りますが、そもそもがそのような状態にならないことこそが重要なのです。
受験にもし必勝法があるなら、孫子に習い、必勝の状態を作ってから戦うことこそが肝要です。
そういった意味では、毎日塾に来て自習を重ねる彼らは必勝法を実践できていると思います。
