佐藤塾が中学受験を推奨する理由とは?

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目次

中学受験はした方が良いか?悪いか?

私個人の結論としましては『中学受験は経験した方が良い』です。

ただこれは新潟県内における附属中受験に限定した話で、時として心身を過剰に消耗させる都心の中学受験とは異なりますのでご了承ください。

佐藤塾では小学6年生の皆さんにはできるだけ附属中の受験を受けていただけるようお願いしております。
『進学』をお願いしているというよりは『受験』を経験してほしいという意味合いが強いです。
小学生の塾生の保護者様から附属受験についてご質問を頂戴することが多いので一度ブログにまとめておこうと思い書かせていただきました。

なぜ推奨するのか、それをお話するにあたって2人の少年の人生についてお話したいと思います。

仮にそれをA君、B君とさせていただきます。

この話はフィクションです。繰り返します、フィクションです。

偉大な父と優しい母に育てられたA君

A君は生まれた時から医師になることを定められていました。

父親は日本〇〇〇〇〇協会の理事で医療法人を経営しながら大学病院で教授をしています。

母親はとても優しい人で、子どもに将来の仕事を押し付けるようなことはせず「自分の好きなようにやりなさい」といつも選択肢を与えることを忘れませんでした。また勉強を無理にさせたりは絶対せず「学歴だけがすべてではない、幸せに健康に育ってくれればそれで良い」と考え、子どもの好きなように伸び伸び育てていました。

先祖は華岡青洲の弟子で江戸時代から続く医者家系の長男がA君でした。将来はお父さんのように医学の道に進むことを周囲は期待していましたが、本人は特にこれになりたいというものはなく、そのまま成長していきました。

優しい家族に囲まれているA君はとても優しい人間に育ち、誰かを思いやることのできる正義感ある人格者に成長しました。ただその優しさの反面、闘争心には欠けるところがありました。

ある時から、A君は「将来は歯医者になりたい」と思うようになりました。周りが医者だらけだったので自分は少し違う道を進んでみようと思ったのです。

小学生から大学生までのA君の人生は順調そのものです。

中学校も高校も大学も全て推薦で合格。大学の面接官は父親を良く知っている人でした。

大学生活も順調に進み、A君は卒業。そしてついに医師資格を得るための国家試験に挑みました。

しかし、A君はここで初めて挫折を味わいます。

国家試験に落ちてしまったのです。ちょうどそのころ、歯医者の人数が多いことが社会問題になり、合格が過去より難しくなっていた頃でした。

A君は大変ショックを受けましたが、周囲の協力もあり翌年また国家試験を受けなおすことにしました。歯医者の国家試験受験専門予備校にも通わせてもらい満を持して再受験しました。

しかし翌年も不合格。あと2点で合格というところまで行ったのにです。

これにはA君も堪えました。一所懸命勉強したのに、、、そんな思いが胸中を駆け巡りました。

どん底に落ちたような気持ちでしたが、優しい両親はまた受けなおせばよいと肩を叩きました。法外な予備校代も横浜に所有する不動産の一部を売却して捻出しました。

周囲の懸命な励ましもあり、A君はまた頑張ろうと思い始めました。なんせあと2点だったのです。去年に比べれば勉強量も減りましたが、きっと大丈夫です。なんせあと2点です。

1年前より少しできれば合格できるのです。少し体調を崩しながらもA君は勉強し、再受験しました。

しかし、結果はまたしても不合格。また2点足らないという結果となりました。

この頃A君は視力に問題が出て、私生活も荒れ始めていました。気持ちも落ち込むことが多くなり、次第に受験を避けるようになりました。

結論をお伝えするとA君はこの後何度か国家試験を受けますが、合格できませんでした。

一方3歳年下の弟は父親の跡を追って大学病院の勤務医となっていました。

理想的な両親、そして環境。
しかし、最後まで国家試験に合格することはできませんでした。
思えばA君は中高大とすべて私立で、国公立ではありませんでした。
A君は24歳になって初めて父親のコネクションが通用しない相手(国家試験)に挑むことになったのです。

これはRPGで言うならレベル上げせずに最後のボスに戦いを挑むようなものです。
A君は懸命に戦いましたが、合格することはできませんでした。

3匹の子豚の末っ子、B君

もう一人は三人兄弟の末っ子、B君です。

B君の親はかなり癖の強い人で、母親は「国公立大学以外に進学するくらいなら高校卒業したら働け、家から出ていけ。うちには私大に行かせる余裕なんてない」と自分は日大出身なのに息子たちには国公立進学を強制させるような人でした。

この母親は外面がよく、教育熱心な教師として周囲から評価されていましたが、息子たちからするとちょっと煙たい存在でした。

A君はB君にとって従兄弟の兄にあたり、B君三兄弟はみな「あっちの家に生まれたかった」と幼い頃から思っていました。A君は親から欲しいものは何でも買ってもらえるのを幼いころから羨ましく思っていました。

B君は兄たちと同じように附属長岡小に進学しましたが、勉強はそれほどできる方ではありませんでした。

クラスの半分よりちょっと下くらいの成績です。上の兄たちは遊んでばかりいて学校の授業はほとんど寝ているような人だったので、B君は兄弟の中ではまだマシな方でした。

ある時、B君が10歳の頃、公文式に行きたくないとごねた時がありました。

「もう勉強したくない」と突然車の中で言い出しました。

じゃあ、公文式やめる?別にそれでもいいよ。私は困らない、うちは貧乏だから勉強する気のない子に習い事をさせる余裕はない。と言う母親をしり目に一緒に乗っていた1番上の兄はB君に優しく、そして論理的に説得しました。

「勉強できないだけで人格まで否定してくる実社会の冷たさ」
「勉強ができることによる数々のメリットがあること」
「自分みたいになりたくないだろ」などなどかれこれ1時間に及ぶ兄の説得を聞いたB君は大きく頷いて公文式に向かいました。
「自分(兄)みたいになりたくないだろ」というところに1番納得しているような気がした兄は少しだけ複雑な気分でしたが、その日からB君は勉強というものに真摯に向き合い、二度と塾に行きたくないとは言いませんでした。兄は少し複雑でしたが。

目の前のことは何もしない一番上の兄でしたが、未来のことを言い当てる特技がありました。

B君が6歳のころ、「Bは将来東京大学でもいける素質を持っている」と周囲に断言していました。
親たちはそれを鼻で笑っていましたが、兄には確信に近いものがありました。

どこにでもいそうな平凡な少年B君でしたが、その後の人生はまさに「挑戦」と「敗北」の連続でした。

クラスの女子に馬鹿にされ、塾のテストで勝負を挑みました。

結果は敗北

惜しくも敗れてしまい、B君はクラスの女子の嘲笑を甘んじて受け入れることになりました。
しかし、そこで終わらないのがB君です。

次のテストでは見事雪辱を果たしました。

附属中に進学した後もB君の成績はそこそこでした。
中3の時にはクラストップ10には入っていましたが、もっと優秀な子はごまんといました。

得意と自負していた英語の弁論大会に出場しましたが、結果は努力賞

新潟市内の中学生たちを前にレベルの差を見せつけられ敗北しました。英語には自信があっただけにショックは大きかったようで項垂れていました。

表彰式の時の新潟大学教育学部の教授が英語下手だったので「あの先生よりはマシだ」と兄たちに慰められ会場を後にしました。

中学3年生になり生徒会長に立候補。6年前に1番上の兄が高校の生徒会長になり、卒業式の答辞でスタンディングオベーションを巻き起こしたことに影響されたのかも知れません。
「あれは答辞ではなく演説だった・・・」(同級生談)

B君は人当たりが良いので選挙では勝利を収めました。
附属長岡中の生徒会長となり、長岡高校理数科の推薦も取り付けすべてが順調に思えましたが、B君の人生はまだまだ負けが続きます。

なんとまさかの長岡高校の推薦は不合格。

学力では問題ありませんでしたが、1年生の時の内申があまり良くなかったこともあり、不合格になりました。他に推薦された附属中の同級生たちが合格に沸く姿をしり目に、B君は悔し涙をこらえて勉強に打ち込みました。

一般入試では見事、長岡高校理数科合格

推薦に落ちたことでより真剣に勉強に向き合うことができたので、その時点で長岡高校内でも学力は上の層に入っていました。

高校3年間でB君は同級生たちと切磋琢磨し、学年順位は1~2位をキープ。全国的な模試でも二桁順位を取ることも少なくありませんでした。

その頃には上の兄たちは何だかんだ国公立大学に進学して一番上の兄は銀行(後に起業)、二番目の兄は市役所(後に東京都庁)になっていました。

B君は模試でも東京大学の合格A判定とることもあり、周囲もB君は当然東大に行くという認識でいました。それはB君も同様でした。
12年前の兄の予言をようやく周囲も本人も信じ始めていました。

迎えた東京大学受験。
自信をもって受験したB君でしたが、結果は不合格

早稲田大学は合格しましたが本命の東京大学には合格することができませんでした。

実は当日高熱を出してしまい、コンディション最悪の状態での東大受験となってしまったのです。

今度という今度はB君も悩みました。このまま早稲田大学に進学するべきか、それとも浪人して東京大学を再受験するか。

母親は浪人するより早稲田大学に行くべきと言いましたが、ほかの家族の反対もありB君は浪人して再受験を選びました。

1年後、B君はまず慶應義塾大学医学部に合格、続いて東京大学理科二類を合格しました。

なぜ理科三類を受けなかったのかと一番上の兄は納得がいきませんでしたが、B君の狙いはそのあとにありました。

それは進学振分です。

東京大学は2年生の終わりの成績を以って、進む学部を選ぶことができます。

そして理科二類の中で主席になれば医学部進学振分、通称『医進』をすることができます。

しかし、それは東京大学理科三類を受けなおした方がずっと可能性があると言われるほど難しいわずかな可能性です。なんせ今度は東大生の中で1番を目指さなければならないからです。

今までで一番高い目標であることはB君自身が一番よくわかっていました。しかし、これまで幾多の敗北と勝利が彼を支えていました。自分ならできる。そう彼は信じていました。

そしてその後、B君は主席になり、東京大学医学部に進むことができました。

めでたしめでたし

新潟県から東京大学理科三類合格者は過去にも例があったでしょうが、医進したとなるとちょっと聞いたことがありません。ひょっとしたら新潟県初なのかも知れません。
私も東大に進学した友人から「医進は理三よりずっと難しい」と聞かされていたのでまさかそこまでとは、、、と驚いたのを覚えています。

『挑戦の数』がA君とB君の明暗を分けた?

私はA君とB君に才能の差はなかったと思います。

ただA君は周りができるだけ転ばないように大切に育て、B君は何度も転び傷だらけになりながらその都度立ち上がり育ってきました。

一見A君は優しい家族にも恵まれ、不幸とは無縁のように思えますし、B君は粗野な兄弟とちょっとアレな両親に囲まれ可哀そうな境遇にも思えます。

しかし、本当に可哀そうだったのはどっちだったのでしょう?

つまずいて痛い思いをするのは確かに見ていて可哀そうです。

しかし、立ち上がり方を学ばず大人になってしまった人は、挫折や危機に相対したときどうすれば良いのかわからなくなってしまうでしょう。

より多くの挑戦と挫折を小さなころから経験していたB君の方が生きる力は強かったと私は思います。

目の前にお腹を空かせた子どもがいたら?

これは有名な話ですが、目の前にお腹を空かせた子どもがいて、目の前には川があり、自分しか魚を釣る能力がない時、あなたはどうしますか?というものがあります。元は老子の話ですね。

ここで「その子どもに魚を釣ってあげる」というのは教育者失格「その子どもに魚の釣り方を教えてあげる」が教育者として正しい姿だと言います。

しばしこの話になると「その子に魚を釣ってあげた後に釣り方を教えます」という人がいますが、私はそれは不正解だと思います。

餓死寸前でもない限り、私はその子がお腹を空かせていても釣り方を教えます。なぜならその方が習得できるからです。満腹の状態で魚の釣り方を教えようとしたところでその子どもは聞く耳を持たないかも知れません。しかし、自分が危機的状況にあれば真剣に話を聞き、素直に実践するでしょう。

少し意地悪に思えるかも知れませんが、私ならそうします。

瞬間的に空腹を満たしてあげることより、子どもが自分の力で魚を釣れるようになる方が圧倒的にその子にとって価値があるからです。

それと同じことが挑戦と失敗にも言えると思います。

短期的には失敗に思えるようなことも、少し長いスパンで見ればよかったなんてことはよくあると思います。それが人生というスパンであればなおさらです。

話をタイトルまで戻しますが、私は中学受験、特に附属中受験はするべきだと思っています。塾長がこんな事言ってはいけないかも知れませんが、合否より大切なものがあると考えております。

大切なのは目標を決め、それに向かって邁進すること。そして結果が期待したものでなかったとしても次勝てばよいという気持ちで備えることこそが肝要です。

そういった意味では中学受験も高校受験も大学受験も1度や2度の失敗はむしろ早めに経験しておいた方が長期的には良いのかも知れません。

一勝九敗、だから私がナンバーワン  柳井正(ユニクロ社長)

日本のナンバーワン実業家として活躍される柳井社長はそう言います。

ここで重要なのは十戦しているという点です。

たくさんの失敗を経験することが成功につながる唯一の道なのかも知れません。

余談ですがこのロゴのペンギンも、子どもたちには「ファーストペンギンであってほしい」という思いで選びました。
受験に挑む全ての受験生に惜しみない賞賛を送りたいと思います。そして我々はその孤独な挑戦を支える存在でありたいと思います。

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